皆さん、こんにちは。
本ブログは行動経済学を実際のビジネスに適用していくことを主目的としています。
行動経済学の理論を中心に、認知心理学や社会心理学などの要素も交え、ビジネスの様々なシーンやプロセス、フレームワークに適用し、実践に役立てていきたいと思っています。
はじめに
さて、今回も通常のブログとは異なり、第2回目のコラムとして松下幸之助さんの「道をひらく」を行動経済学的観点から解読していきたいと思います。
「道をひらく」は564万部も販売されたロングセラーな書籍で、読んだことがある方も多いのではないかと思いますが、Amazonでは「本書は、松下幸之助が自分の体験と人生に対する深い洞察をもとに綴った短編随想集」と紹介されています。
そもそも、なぜ今回「道をひらく」を行動経済学的観点から解読していこうと思ったかというと、定期購読までとはいきませんが、よく読んでいる雑誌の「THE21 2024年5月号」で、松下幸之助さんの生誕130年特別企画が掲載されており、そこで松下幸之助さんの様々な名言を目にしたところから始まります。
それらの名言を見ていた際に、目新しさというより、「確かにそうなんだよな。でも、なぜそれができてないんだろう?」と感じ、そのできない理由を行動経済学及び心理学など行動科学の観点で分析してみるのも面白いかもと感じました。
その後、様々調べるうちに今回取り上げる「道をひらく」がNHKの「100分de名著」で取り上げられていたり、flierで取り上げられていたこともあり、この「道をひらく」をベースに行動経済学などとのかかわり、主には「その通りなんだけど、それができない理由(バイアス)」との繋がりを書いていこうと思い、今回の執筆に至りました。
flierが「道をひらく」をテーマごとに紹介しているので、今回はその内容に沿って行動経済学で定義されているバイアスによる実現阻害要因を中心に分析していきたいと思います。
下の図はテーマごとに関連する行動経済学的なバイアスとの関連図です。
雨が降れば
「雨の日に傘がないのは、天気のときに油断して、その用意をしなかったからだ」
晴れているときに傘の用意をしておかなかった人は、雨にぬれてはじめて、傘の必要性を知る。
これは、言い換えると「平時に油断して動かず、緊急時にあたふたする」ということで、実際によくあることかと思いますが、関係してくる行動経済学的なバイアスとしては「現在バイアス」が挙げられると思います。
現在バイアスは、本当に必要なこと(備え、準備、対応)を先延ばしにしてしまう傾向を指しますが、これこそまさに「雨の日に傘がないのは、天気のときに油断して、その用意をしなかったからだ」に繋がることだと思います。
「備えあれば患いなし」、「転ばぬ先の杖」という言葉もありますが、それを実現するには「現在バイアス」による先延ばし癖の解消を意識する必要があります。
生かしあう
「ある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。自己を去って相手を生かす」ことである。そうした考えに立ってみればこそ、相手も自分も生かすことができる。
相手のことを認め、相手を立てる、これこそ松下幸之助さんをよく表している表現で、松下幸之助さんは、どんな相手でもその人を尊重し、その人が話すことに耳を傾け、意見、アドバイスなどを聞き入れていたそうです。
「心理的安全性」などというキーワードが出てきたのは、だいぶ後のことですが、松下幸之助さんはそのことを真に理解し、実践していたのかもしれないですね。
しかし、人間は相手を立てるのがなかなかできないこともありますが、そこに関連してくるのは、「セルフサービングバイアス」でしょう。
「セルフサービングバイアス」は、「成功は自分のおかげ、失敗は他人のせい」と考えてしまう傾向のことですが、要は自分本位の考え方になってしまう傾向です。
そこは、逆の「成功は他人のおかげ、失敗は自分のせい」と他人を立てる考え方を意識して解消していきたいものです。
断を下す
どちらに進もうかと立ちすくむだけでは、状況は何も変わらない。自分ひとりなら、立ちすくむことがあってもいいかもしれない。だが、後ろに人がついてきている時はそうもいかない。どちらに進もうか決めあぐねていては、後ろに続く人たちも迷ってしまう。
そんな時は、進んでもいいし、とどまるのもいい。とにかく、自ら決断を下すことが何より大切だ。それが最善の選択かどうかは神にしかわからないが、決断を下さないよりはずっといい。
ビジネスでもプライベートでもそうですが、大き目な決断を下さざるを得ない状況が必ずあります。そんな時に、即座に決断を下せればよいのですが、なかなかそうはいかないこともよくあります。
その決断を下せないという状況に関連するのは、「現状維持バイアス」です。
「現状維持バイアス」とは、変化を躊躇い、明らかに現状より良くなると分かっているのに、行動変容ができない、即ち決断を下せず「立ちすくむ」状況を指します。
決断を下さないことによる事態の悪化をさけるためにも、「現状維持バイアス」にかかっていることを自覚し、進むための決断をしていけるようにしたいものです。
命を下す
物事を動かせるようになるには、命を受ける側だけでなく、命を下す側の心構えも必要だ。そうした心構えについて、著者はこう言う。「命を下す前に、まず人の言うことに耳をかたむけることである。聞いた上で問うことである。そして、そこにわが思いと異なるところがあれば、その気づかざる点を気づかしめ、思い至らざる点の理非を説く」
ビジネスにおいても、部下やチームメンバーがいると「命を下す」機会も多々あると思いますが、往々にして自分の思い通りに動いてくれず、やきもきすることも少なくないと思います。
そういった時に、「なぜ自分の意図通りに動いてくれないんだろう」と思ってしまうこともあるのではないかと思いますが、そこには「自信過剰バイアス」が絡んでいるかと思います。
ここに書かれている通り、「命を下す前に、まず人の言うことに耳をかたむける」ことが大事なのに、自身の考えに過剰なまでに自信を持ってしまい、それを押し付け、命を下される側が腹落ちしないまま事を進めることが「意図通りに動いてくれない」に繋がっていることも少なくないはずです。
「その気づかざる点を気づかしめ、思い至らざる点の理非を説く」をした上で、命を下し、腹落ちしてもらった状態で進めてもらえるようにしていくべきでしょうね。
絶対の確信
私たちは神でも仏でもないのだから、絶対の確信を持って道を選ぶことなどできるはずがない。だからこそ、おおきな間違いをせずに歩んでいくために、さまざまなことを悩み考えるのだ。あれこれ考えて決断しても不安で、でも他にどうしようもないので、勇気をふりしぼって、自分をふるいたたせて歩きつづける。
何かを進めるためには、現状を維持するだけではダメな時も多く、「自分をふるい立たせて歩きつづける」ことが大事になるというのは納得なのですが、時に人は歩き続けること、要は前に進むことを躊躇する傾向があります。
それは「不作為バイアス」が絡んでいるかと思います。
「不作為バイアス」は、何かをして失敗するくらいなら、何もしないで失敗した方がマシと考えてしまうことを指しています。
松下幸之助さんは「失敗を恐れるよりも、真剣になっていないことを恐れよ」ということをいっていますが、真剣になって前に進むために、もがき続け、奮い立たせ歩き続けることが必要なのかもしれません。
働き方のくふう
「東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようなてくてく歩いている姿に等しい」と評する。徒歩から駕籠(かご)へ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと発展し、人のかく汗が少なくなっていくことこそが、人間の進歩である。
人より一時間多く働くことは、勤勉な努力そのものであり、尊い。一方で、一時間少なく働いて、それでいてより多くの成果をあげることもまた、同じように尊い。それはくふうをこらさなければできないことだからだ。
時代や周辺環境の変化にあわせ、自身のビジネススタイルを変えていくことは重要です。ところが、自身の成功体験を引きずるあまり、変化についていけない人も少なくありません。
デジタル化、DX、生成AIの活用など効率、生産性を上げられるツールからの逃避、嫌悪などもその一例でしょう。
そういった、過去の成功体験に固執してしまう傾向は「パス依存(経路依存性)」に関連します。
確かに、自身が固執しているやり方で一時代を築いたのかもしれませんが、変化が激しく、不確実性が高い現代を生きていくためには、日々、改善のため進歩のため「くふうをこらしていく」ことが重要になります。
敵に教えられる
自分が正しいと思いこんでしまえば、自分の意見に異を唱える人はすべて正しくないことになる。己が正義なら、相手は不正義、いわば敵である。だから敵を憎み、徹底的に倒したくなってしまう。
(中略)
「相手がこうするから、自分はこうしよう、こうやってくるなら、こう対抗しようと、あれこれ知恵をしぼって考える。そしてしだいに進歩する。自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである」と。
学び続ける姿勢というのは非常に大事で、それは敵からですら学ぶことも可能ということですが、自分自身に過大な自信を持ってしまい、謙虚さをなくし、学ぶ姿勢すら持てなくなっている人も多く見受けられます。
これは、先に紹介した自分に過大な自信を持ってしまう「自信過剰バイアス」も関連しますが、「確証バイアス」も関連してきます。
「確証バイアス」とは、自身の考えや仮説などを支持する情報、意見ばかりに耳を傾け、それに反する情報、意見は無視する傾向を指しています。
自分が自信をもって発言している、進めいていることに反証、反対されるのは気持ちの良いものではないですが、「教えられている」という気持ち、大局観で臨んでいきたいものです。
学ぶ心
幼児の頃は親から学び、生徒の頃は先生から学び、後輩の頃は先輩から学んできたはずだ。自分の考えと思っているものも、すべてこれまでの数多くの学びの上に立っている。著者は「よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人である」と言う。
先にも述べたように、学び続けることは非常に大事なのですが、人間、どこかのタイミングで自分に過大な自信を持ってしまうからか、学びを止めてしまうことがあるようです。
学びの中には、他からの耳の痛いアドバイスなどもありますが、ついつい無視をしたり反発をしてしまう傾向がありますが、これには「心理的リアクタンス」が関連しています。
「心理的リアクタンス」は、自分で決めたいという欲求であったり、自分が自由に選択できると思っていることに対して制限や強制をされてしまうと、抵抗や反発感情が生じてしまう傾向ですが、人からのアドバイスによって学んだうえで、自分で決めたという風に思うようにできれば、学びがあったうえで、「心理的リアクタンス」も軽減されるのではないかと思います。
素直に生きる
さて、最後は「素直に生きる」ですが、これは参考にしているflierの記事や100分de名著においても、全体的な根底として紹介されています。
逆境だけでなく順境もまた尊いものだ。大切なのは、どんな状況にあってもその運命を受け入れ、素直に生きることなのだ。
「素直に生きる」ということは、本当に大事なことではあるのですが、様々な外部要因やしがらみ、自身の過去の経験、成功体験などの要因で、なかなかできていないことも多いかと思います。
また、先に紹介した様々なバイアスが関連し、「素直」であり続けるのが難しい状況でもあるのですが、一方で、松下幸之助さんは本著書で、素直な心を「ありのまま」とも表現しているので、松下幸之助さんだったら「バイアスもまたよし」と言ったかもしれません。
結論としては、バイアスを完全に解き放つことは難しいので、バイアスが存在していることを認識し、現状を冷静に再分析した上で、改めて自身の気持ちに「素直」にしたがい、向き合い、行動することが大事なのかもしれません。
では、また次回!