ビジネス×行動経済学

行動経済学や行動心理学など行動科学の理論やバイアスをビジネスに適用することを目的にしたブログです

〖工場は、なぜ簡単に移せないのか①〗人件費が半分なら、原価も半分になるのか

――人件費はゆっくり効き、手戻りは先に現金を奪う

皆さん、こんにちは。

今回から、5回シリーズ、

工場は、なぜ簡単に移せないのか ――「場所」ではなく「能力の束」として工場を考える

を始めます。

前回までのシリーズ「その数字は、原因を語っているか」では、ある施策の前後で数字が変わっても、その施策が変化の原因だったとは限らないことを考えてきました。

原因と結果の間には、ほかにもさまざまな条件が入り込みます。

また、本当に比較すべきなのは、施策を実施した現在と実施前の過去ではありません。

その施策を実施しなかった場合、何が起きていたのか。

という、実際には観察できないもう一つの未来です。

今回からは、この考え方を工場移転という具体的な経営判断へ当てはめます。

工場移転の検討会議で、次のような説明を聞くことがあります。

候補地の人件費は、現在の工場の約半分です。 この地域へ生産を移せば、大幅な原価低減が期待できます。

スライドには、二本の棒グラフが並んでいます。

現在の工場が100。移転候補地が50。

差は歴然です。

会議室では、「これだけ違うなら、移転した方がよい」という空気が生まれます。

けれども、ここで一つ確認しなければなりません。

人件費が半分になれば、製造原価も半分になるのでしょうか。

工場を移すときに変わるのは、人件費だけではありません。

作業者の習熟度が変わります。仕入先が変わります。物流経路が変わります。在庫量が変わります。本社からの支援も増えます。

人件費という一つの数字を変えたつもりでも、実際には工場を構成する多くの条件を同時に動かしているのです。

本稿に登場する数値は、特定企業の実績ではなく、構造を説明するための仮想例です。

人件費は、原価の一部でしかない

まず、ある仮想製品の製造原価を100として考えてみます。

この製品では、直接人件費が原価全体の12を占めているとします。

移転によって人件費が半分になれば、12が6になります。

ほかの条件が一切変わらなければ、製造原価は100から94へ下がります。

人件費は50%下がる。 しかし、製造原価の低下は6%である。

「50%削減」と聞くと、非常に大きな効果に感じます。

一方、「原価100が94になる」と言い換えると、印象は変わります。

同じ事実でも、どちらの数字を前面に出すかによって、判断は大きく変わります。

人は、最初に提示された数字を、その後の判断の基準にしやすい傾向があります。行動経済学でいうアンカリングです。

最初に「人件費50%削減」という数字を見れば、会議ではその50%が基準になります。

その後に物流費や支援費用が追加されても、「50%の大きな削減効果から、少し差し引かれるだけだ」と感じやすくなります。

しかし、経営判断で見るべきなのは、人件費の削減率ではありません。

会社全体で、最終的にいくら減るのかです。

なお、人件費の構成比は、業種、製品、工程、自動化率によって大きく異なります。労働集約型の工程では人件費比率が高く、自動化された工程では低くなります。

重要なのは「人件費は必ず12%である」ということではありません。

自社製品の原価に占める人件費は何%なのか。 その人件費を下げたとき、総原価は何%下がるのか。

を分けて見ることです。表1は原価100の内訳、図解1は人件費を半減したときに総原価がどう変わるかを示しています。

6%の削減を、手戻りと本社支援が消していく

さらに問題があります。

先ほどの「100から94になる」という計算は、移管先が最初から現在の工場と同じ生産性、品質、納期で稼働することを前提にしています。

実際の移管先は、まだ製品にも工程にも慣れていません。

図面とBOMを渡しても、すぐに同じように作れるとは限りません。

作業手順書の表現が現場の動きと合っていないことがあります。検査基準の境界が、双方で違って理解されることもあります。現物と図面に、過去の変更履歴が十分反映されていない場合もあります。

すると、次のような手戻りが発生します。

  • 試作品を作り直す
  • 作業手順書や検査基準を修正する
  • BOM、図面、現物の不一致を確認する
  • 作業者へ再教育する
  • 不良原因を再調査する
  • 部材や仕入先を再評価する
  • 顧客へサンプルを再提出する

手戻りは、一回分の作業費だけでは終わりません。

たとえば、検査基準の認識違いが見つかったとします。

試作品を作り直します。量産承認が遅れます。生産計画を引き直します。本社の技術・品質担当者が追加確認に入ります。納期を守るために航空便へ切り替えます。遅延に備えて、安全在庫も積み増します。

一つの認識違いが、複数部門と複数費目へ波及していくのです。

先ほどと同じ仮想例で、移転初年度の年間総費用を考えてみます。

これは、移転初年度の構造を理解するための簡略化した試算です。人件費で6を下げるはずが、初年度の総費用は100から94になるどころか、101へ増えています。「安くするための移転」が、初年度には費用増を招く。この逆転は、偶発的な事故ではなく、手戻りや支援費用が連鎖した結果として起こり得ます。

しかも、人件費の▲6は、移管した生産数量に応じて少しずつ効いてきます。立上げ初期は移管数量そのものが少ないため、実際の削減額は6へ届かない可能性があります。

一方、試作費、出張費、手戻り、並行生産、緊急輸送は、立上げから数か月の間に先行して発生します。

削減効果は、量産が増えるにつれてゆっくり効く。 追加費用は、量産が安定する前に一気に出ていく。

総額が同じでも、発生時期が違えば、資金繰りと現場負荷は変わります。

立上げ初期に問題が集中すれば、現地の作業者も本社の支援部門も疲弊します。確認が粗くなり、新しい手戻りを生み、それがさらに支援を増やす悪循環に入ることもあります。

人件費削減は少しずつ効きます。

しかし、品質問題や生産遅延の損失は、一度に発生します。

ここに、工場移転の非対称性があります。

本社支援は、原価表に載りにくい

工場移転では、現地の作業者だけが仕事をするわけではありません。

本社の複数部門が、移管先を支えます。

技術部門は、図面や作業条件を確認します。

品質部門は、検査基準を説明し、不具合原因を分析します。

生産管理部門は、新旧工場の生産数量と納期を調整します。

調達部門は、部材、仕入先、発注条件を確認します。

システム部門は、品目、原価、仕入先、倉庫などのマスターを登録します。

必要に応じて、通訳、翻訳、日次会議、現地出張、一時駐在も発生します。

出張旅費やサンプル費用は、移転費用として比較的見えやすい項目です。

ところが、本社社員が通常勤務の中で使った時間は、既存の人件費に埋もれます。

一日に二時間のオンライン会議を行っても、その二時間分の請求書が発行されるわけではありません。

技術者が図面を修正しても、移転先の製造原価へ直接計上されるとは限りません。

品質担当者が一週間、不具合分析に集中しても、その工数は本社側の人件費や販管費に残るかもしれません。

その結果、新工場の損益だけを見ると、低い人件費で製品を作れているように見えます。

しかし、その低原価は、本社の技術、品質、生産管理、調達が無償で支援し続けることによって成立している可能性があります。

新工場の低原価を、本社の高い支援工数が「無償の輸血」で支えている。

その状態で新工場だけの数字を見れば、移転は成功しているように見えます。

会社全体で見れば、費用の発生場所が工場から本社へ移っただけかもしれません。

さらに、本社支援には機会費用があります。

移管対応に使った時間は、本来なら別の仕事に使えた時間です。

  • 既存工場の改善
  • 新製品の立上げ
  • 原価低減
  • 品質改善
  • 顧客対応
  • 次の人材育成

これらが遅れても、移転プロジェクトの費用表には載りません。

けれども、会社として失った時間であることに変わりはありません。

だから工場移転では、旅費や外注費だけでなく、

どの部門が、何人日を支援したのか。 その支援工数は、月ごとに減っているのか。 支援のために、何を延期したのか。

まで確認する必要があります。

本社支援がいつまでも減らないのであれば、移管先はまだ自立していません。

見かけ上の低原価を、本社が補助し続けているだけです。

移転費用は、時間軸とリスクの深さで分ける

工場移転で発生する費用は、三つに分けると整理しやすくなります。

1.移転・習熟期間に発生する費用

  • 設備・金型の移設
  • 試作、評価、認証
  • 作業者への教育
  • 手戻りと再教育
  • 本社からの技術・品質支援
  • 新旧工場の並行生産

これらは、主に移転前後へ集中する費用です。

計画段階で比較的予想しやすい一方、「一度教えれば終わる」「試作は一回で通る」といった楽観的な前提が入りやすい部分でもあります。

2.移転後も継続する費用

  • 輸送距離の増加
  • 安全在庫の積増し
  • 現地管理者の配置
  • 本社との定例会議
  • 品質監査
  • 法規・通関対応

立上げ費用は一時的でも、移転によって業務構造そのものが変われば、費用は移転後も残ります。

とりわけ、本社支援が「一時的な立上げ支援」から「恒常的な運営支援」へ変わっていないかを見る必要があります。立上げ後も現地だけでは判断できず、毎週の本社定例会議や例外承認が残り続けるなら、それも移転後に継続する見えない固定費です。

3.発生頻度は低いが、損失の大きい費用

  • 生産停止
  • 重大品質事故
  • 主要部材の調達不能
  • 認証や通関上の問題
  • 顧客への緊急対応
  • 失注や販売機会の逸失

これらは、毎月発生する費用ではありません。

発生しなければ、移転計画の損益表には何も現れません。

しかし、一度発生すれば、数年間かけて積み上げる人件費削減効果を短期間で失う可能性があります。

これは、まったく予測できない出来事という意味での「ブラックスワン」ではありません。

発生する可能性は低くても、製造業であれば想定しておくべきテールリスクです。

発生確率が低いことと、考えなくてよいことは同じではありません。

通常の原価表に載るのは、実際に発生した費用です。

経営判断で見るべきなのは、それに加えて、いつ発生するのか、どこまで続くのか、最悪の場合にいくら失うのかです。

一つの変数を変えたつもりが、工場全体を動かしている

人件費の安い地域へ工場を移す。

表面上は、立地と人件費という一つの条件を変える判断に見えます。

しかし、実際に同時に変わるのは、人件費だけではありません。

  • 作業者の習熟度
  • 手戻りの発生頻度
  • 本社の支援工数
  • 部材の調達条件
  • 仕入先との距離
  • 輸送時間
  • 必要な在庫量
  • 品質管理の負荷
  • 本社との情報伝達

そして、これらの変化が、総費用、納期、供給安定性へ影響します。

工場移転の効果を人件費だけで測ることは、複数のつまみを同時に動かしながら、一つのつまみだけが結果を変えたと考えるようなものです。

人件費低下から原価低下へ向かう、見えやすい一本の経路があります。

その周囲には、習熟度の低下から手戻りへ向かう経路、調達先の変更から納期や品質へ向かう経路、物流距離から在庫へ向かう経路、本社支援から機会費用へ向かう経路があります。

移転の成否は、この複数の経路を通じて決まります。

比較している二つの未来は、本当に公平か

工場移転の試算では、次のような比較が行われがちです。

現在の工場:現時点の実績原価 移転先の工場:問題なく稼働した後の計画原価

現在の工場には、現実に発生している非効率が含まれています。

古い設備があります。長年変えられていない工程があります。高い物流費や過剰な在庫もあるかもしれません。

一方、移転先の計画原価は、量産が予定どおり立ち上がり、歩留まりも安定し、本社支援も減った後の姿です。

手戻りも、立上げ遅延も、緊急輸送も起きない前提になっていることがあります。

つまり、比較しているのは、

現実の現在地と、理想化された移転先

です。

これでは、移転先が有利になるのは当然です。

本当に比較すべきなのは、次の二つの未来です。

選択肢A:現在の工場に残り、改善した3年後

  • 工程改善を行う
  • 自動化できる部分へ投資する
  • 仕入条件を見直す
  • 不良と手戻りを減らす
  • 製品設計を変更する

選択肢B:新工場へ移転し、習熟した3年後

  • 設備・金型を移す
  • 作業者を教育する
  • 新旧工場で並行生産する
  • 本社が立上げを支援する
  • 手戻りを経て、量産を安定させる

前シリーズで考えてきた「反実仮想」とは、まさにこの比較です。

移転した現在と、移転前の過去を比べるのではありません。

移転した未来と、移転せずに改善した未来を比べる。

必要があります。

しかも、安定後の単月原価だけでは不十分です。

立上げ費用、本社支援、並行生産、追加在庫を含む累積キャッシュアウトで見なければなりません。

新工場の安定原価が低くても、安定までに三年かかるのであれば、その間に支払った費用を回収できるのはさらに先です。

反対に、移転初年度は費用が増えても、量産安定後の削減効果が大きく、十分な生産期間があるなら、移転が合理的な場合もあります。

問うべきなのは、「どちらの単月原価が安いか」ではありません。

いつから安くなるのか。 それまでにいくら必要なのか。 何年生産すれば回収できるのか。

です。

工場移転で先に問うべき三つのこと

ここまでの内容を、実務上の三つの問いにまとめます。

1.理論上の削減余地はいくらか

人件費が何%下がるかではなく、総原価に占める人件費の割合を確認します。

  • 人件費は総原価の何%か
  • 人件費が下がったとき、総原価はいくら下がるか
  • その削減額は、移転投資に見合う規模か

2.移管先が自立するまで、何が必要か

設備や旅費だけでなく、手戻りと本社支援を見積もります。

  • 試作と再試作を何回見込むか
  • 本社の何部門が支援するか
  • 支援は何人日必要か
  • 本社支援は、月ごとに減少するか
  • 支援のために、どの業務を延期するか

本社支援が減らない場合、移管先が自立していない可能性があります。

新工場の原価だけでなく、会社全体の支援工数を同じ表へ載せる必要があります。

3.移転しない未来と比較したか

移転案だけを詳しく作り、現状維持案を何も変わらない前提にしてはいけません。

  • 現工場を改善した場合
  • 一部工程だけを移した場合
  • 自動化した場合
  • 仕入先を変更した場合
  • 製品設計を変更した場合

についても、同じ期間、同じ精度で比較します。

まとめ――原価表の外側にある工場を見る

今回の内容をまとめます。

第一に、人件費の削減率と、総原価の削減率は同じではありません。

人件費が半分になっても、それが原価の12%であれば、理論上の削減効果は6%です。

第二に、移転初期には、手戻り、本社支援、並行生産、緊急輸送などの費用が先行して発生します。

削減効果は生産数量に応じて徐々に現れますが、追加費用は立上げ初期に集中します。

第三に、本社社員の支援工数は、移転費用として見えにくい数字です。

新工場のP/Lでは低原価に見えても、本社側の人件費や機会費用が、その低原価を支えている可能性があります。

第四に、移転判断では、現実の工場と理想化された移転先を比較してはいけません。

「現在の工場を改善した未来」と「移転して習熟した未来」を、同じ時間軸と累積費用で比べる必要があります。

もちろん、人件費の安い地域への移転が間違いなのではありません。

製品、数量、工程、販売期間によっては、工場移転が合理的な場合もあります。

問題は、人件費という一つの数字だけで、移転全体の効果を判断することです。

そして、ここでもう一度、最初の仮想原価へ戻ってみます。

人件費は12でした。

それを半分にするために、手戻り、本社支援、並行生産という負担が発生します。

一方、原価の半分以上を占めていたのは、材料・部品の55です。

では、工場を移した後も、この55を同じ価格、品質、納期で調達できるのでしょうか。

図面には、部品の仕様が書かれています。

BOMには、必要な部品と数量が書かれています。

しかし、急な増産に応じてくれた仕入先、品質問題が起きたときに一緒に原因を探した担当者、納期遅延時に優先順位を組み替えてくれた関係までは書かれていません。

工場を移すとき、最初に失われるのは設備ではない。 原価表とBOMの外側にあった関係である。

次回は、

BOMは移せても、取引関係は移せない ――部品表に載らない「例外対応」の価値

を考えます。

今回はここまでとします。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

〖週末特別コラム〗中国の「新エネルギー車」は、何台売るかから、どんな産業を作るかへ

――「70%」という数字の後ろにある、もう一つの十五五計画

皆さん、こんにちは。

先週の特別コラムでは、中国の人型ロボットが、なぜ自動車産業の周辺から立ち上がっているのかを考えました。

そこで見えてきたのは、自動車産業が単なる「ロボットの顧客」ではなく、部品、量産、品質、工場、データを持つ「量産と学習のOS」になっているという構造でした。

今回は、もう一度中国の自動車産業を取り上げます。

ただし、見るのは企業や製品ではありません。

政策です。

9月10日、中国の工業情報化部など9部門が、2030年までの自動車産業の方向を示す《智能网联新能源汽车产业发展“十五五”规划》を公表しました。

日本語にすれば、「インテリジェント・コネクテッド新エネルギー車産業発展・第15次五カ年計画」といったところでしょうか。

この正式名称にある「智能网联」という言葉の意味は、後ほど改めて見ていきます。ここを読むと、今回の計画が単なる「電動化政策」ではないことが見えてきます。

ニュースで目立つのは、2030年までに新エネルギー乗用車の国内新車販売比率を70%にするという数字です。

ところが、この70%だけを見ていると、今回の計画で起きている変化を少し読み違えるように思います。

2025年、中国の新エネルギー車は年間1,649万台が販売され、新車販売全体の47.9%を占めました。

さらに中国汽車工業協会の統計では、2026年1~8月の新エネルギー乗用車の国内販売比率は58.6%、8月単月では68.0%でした。

もちろん、8月単月の68%と2030年の年間目標70%は期間が異なるため、そのまま同じ数字として比較することはできません。

それでも、70%が「まだ遠い未来の大目標」ではなくなりつつあることは分かります。

では、なぜ今、工業情報化部だけでなく、国家発展改革委員会、公安部、交通運輸部、商務部など9部門が連名で、新しい五カ年計画を出したのでしょうか。

今回、計画本文と中国側の政策解説を読んでいて、私が気になったのは70%という販売比率ではありませんでした。

中国の新エネルギー車政策は、「何台売るか」から、「どんな産業を作るか」へ重心を移し始めているのではないか。

今回は、その変化を考えてみます。

※本記事で扱う政策・統計は、2026年9月時点で公表されている資料に基づいています。

中国は、すでに「普及させる段階」をかなり進んだ

最初に、「新エネルギー車」という言葉を整理しておきます。

中国でいう新エネルギー車(NEV:New Energy Vehicle)は、純電気自動車だけを意味する言葉ではありません。

バッテリー式電気自動車(BEV)に加え、プラグインハイブリッド車(PHEV。増程式を含む)、燃料電池車などを含む、中国の政策上のカテゴリーです。

そのNEV市場は、この5年間で急激に大きくなりました。

工業情報化部によると、中国のNEV年間販売台数は、2020年の136.7万台から2025年には1,649万台へ増えています。

新車販売に占める割合も、5.4%から47.9%へ上昇しました。

わずか5年間で、NEVは「新しい選択肢」の一つから、自動車市場の中心へ移ってきたことになります。

ここで重要なのは、成功したか失敗したかを評価することではありません。

産業の段階が変わったということです。

市場がまだ小さいときには、どう普及させるかが問題になります。

企業に参入してもらう。

設備へ投資してもらう。

消費者に買ってもらう。

充電インフラを増やす。

まず市場そのものを作らなければなりません。

しかし、年間販売が1,600万台を超える規模まで来ると、次の問題が出てきます。

「もっと増やす」だけでは、産業政策として足りなくなるからです。

市場を大きくした先に、「内巻」が残った

工業情報化部は、現在の中国自動車産業について、かなり率直な問題意識を示しています。

8月の政策説明では、「非理性的な競争がなお目立つ」としたうえで、一部では十分な実験・検証を経ない「激進的」な設計が製品へ投入されていることや、品質、自動運転の安全性などを、十五五期に解決すべき課題として挙げました。

中国では、過度な消耗型競争を「内巻(ネイジュアン)」と表現することがあります。

価格を下げる。

競合も下げる。

装備を増やす。

モデルチェンジを早める。

さらに価格を下げる。

競争そのものは悪いことではありません。

むしろ、新しい企業を生み、技術を進化させ、消費者の選択肢を増やします。

しかし、競争の軸が「相手より先に、相手より安く」に偏りすぎれば、別のところに負荷が移ります。

開発期間。

品質保証。

サプライヤーの収益。

設備投資の回収。

そして、生産能力そのものです。

ここで興味深いのは、政策側が問題を企業同士の価格競争だけで見ていないことです。

今回の計画では、市場秩序の是正とともに、企業再編、生産能力、地方をまたぐ統合なども政策対象になっています。

つまり、「売り方」の問題ではなく、産業の作り方そのものを見直そうとしているように見えます。

「増やす」から「整える」へ――産能預警という転換

今回の計画で、私が特に気になった言葉があります。

「产能预警调控」です。

日本語にすれば、「生産能力の警戒・調整」でしょうか。

計画では、新たに独立したNEVメーカーを設立する際の条件を厳格にするとしています。

さらに、自動車企業のM&Aや地域をまたいだ統合を進め、低効率な生産能力については、市場化・法治化された方法によって秩序ある退出を促す方針も示しています。

動力電池についても、生産能力の警戒・調整を行うとしています。

第一財経は、「産能預警」が自動車産業の五カ年計画に盛り込まれたのは今回が初めてだと報じています。

これは、かなり象徴的な変化だと思います。

これまで中国のNEV産業を見ると、

企業が参入する。

工場をつくる。

地方が企業を誘致する。

新しいブランドが生まれる。

設備能力が増える。

という「拡大」の動きが目立っていました。

ところが十五五では、そこへ別の問いが入ります。

その生産能力は、本当に必要なのか。

稼働し続けられるのか。

企業をまたいで統合した方が効率的ではないか。

退出すべき低効率な能力はないか。

「何社参入したか」「工場を何個作ったか」だけではなく、産業全体の生産能力をどう使うのかを見るわけです。

これは、

「普及させる政策」から、「産業を整える政策」へ。

という変化だと私は見ています。

もちろん、中国政府が生き残る企業を直接選ぶという意味ではありません。

計画自身が「市場化・法治化」という言葉を使っています。

重要なのは、政策が市場へ送るシグナルが変わり始めたことです。

「もっと作ってください」だけではなく、

「効率よく作り、品質を守り、持続できる企業になってください」

というシグナルが強くなっているように見えます。

AIは、ダッシュボードの中だけではない

もう一つ、今回の計画で非常に興味深い部分があります。

AIです。

「AI×自動車」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。

自動運転。

スマートコックピット。

音声アシスタント。

車載OS。

たしかに、どれも重要です。

しかし十五五計画でAIの対象になっている範囲は、もっと広いものです。

中国語では、

「研・産・供・銷・服」

という表現が使われています。

「研」は研究開発。

「産」は生産。

「供」は供給、つまりサプライチェーン。

「銷」は販売。

「服」はサービスです。

つまり、AIを車両そのものへ載せるだけではなく、自動車産業の仕事の流れ全体へ入れていく考え方です。

計画では、産業チェーン・サプライチェーンのデジタル協調、データ共有、完成車メーカーと部品メーカーの新しい協業モデル、スマート工場なども対象になっています。

さらに「AI+自動車」が独立した重点行動として置かれ、AIモデル、AIエージェント、高品質データセット、可信データ空間なども盛り込まれました。

ここは、生産管理やSCMの仕事をしている立場から見ると、とても気になります。

AIが自動車産業を変えるというと、どうしても「クルマがどれだけ賢くなるか」に目が向きます。

しかし、実際にはもう一つあります。

クルマを作る会社そのものが、どれだけ賢くなるか。

需要を読む。

生産計画を組み直す。

部品不足を検知する。

調達条件を比較する。

品質異常を予測する。

物流を組み替える。

販売後の故障や保守情報を開発へ戻す。

こうした仕事にもAIが入れば、競争力は「車載AIの性能」だけでは決まらなくなります。

今回の計画では、2030年までに自動車産業の全員労働生産性を2025年比15%向上させる目標も置かれています。

もちろん、「AIを入れれば15%上がる」という話ではありません。

しかし、AIによる全産業チェーンのデジタル化と、生産性向上が同じ計画の中に置かれていることは重要です。

AIは、ダッシュボードの中だけではありません。

工場にも入り、サプライチェーンにも入っていきます。

強くしようとしているのは、完成車メーカーだけではない

中国の自動車産業を見ていると、どうしても完成車メーカーへ目が向きます。

BYD。

Geely。

XPENG。

新しいモデルや販売台数は分かりやすく、ニュースにもなりやすいからです。

しかし今回の計画では、2030年までに世界的な競争力を持つ完成車メーカーだけでなく、世界トップ100級の部品企業を複数育成することも目標にしています。

さらに、計画を読むと、強化対象として車載OS、工業ソフト、自動車半導体、高性能センサー、基礎材料などが並びます。

これは、完成車の「下」にある領域です。

目立たないけれど、なければ車を作れない技術です。

特に興味深いのは、工業ソフトです。

構造解析。

流体解析。

動力学。

工程シミュレーション。

こうしたソフトウェアは、完成した車を見ても外からは分かりません。

しかし、開発速度や試作回数、品質、設計変更のコストを左右します。

つまり、完成車メーカーが世界市場で販売を伸ばしても、その下にある基盤技術が弱ければ、産業全体としてはまだ完成していないということです。

私はここに、今回の計画のもう一つのメッセージを見ることができます。

強い自動車会社だけでは、自動車産業全体が強いとは限らない。

完成車の競争から、サプライチェーンの深さの競争へ。

これもまた、「何台売るか」だけでは見えにくい部分です。

「智能网联」という言葉が示す、産業の境界

ここで、今回の計画の正式名称に戻ります。

《智能网联新能源汽车产业发展“十五五”规划》。

「新能源汽车」の前に、「智能网联」が付いています。

「智能」は、知能化。

「网联」は、ネットワーク接続です。

つまり、今回の政策は最初から「電動化だけ」を扱っているわけではありません。

工業情報化部は、自動車が単なる交通手段から、「移動するインテリジェント端末」「蓄電ユニット」「デジタル空間」へ変わっていると説明しています。

そのため、政策対象も自動車メーカーの中だけには収まりません。

5G、5G-A。

C-V2X。

北斗や衛星通信。

道路側のセンサー。

クラウドと算力。

充電インフラ。

電力網との連携。

こうしたものが、一つの計画の中に入っています。

中国でよく使われる「車路雲一体化」という言葉も、この文脈にあります。

車だけを賢くするのではありません。

道路にも情報を持たせる。

通信でつなぐ。

クラウド側でも判断する。

エネルギーとも接続する。

ここまで来ると、「自動車産業」という言葉の境界自体が変わってきます。

クルマを作る産業から、車・道路・通信・クラウド・エネルギーをつなぐ産業へ。

正式名称に「智能网联」が入っている意味は、このあたりまで読むと分かりやすくなります。

「出海」するのは、車だけではなくなっていく

そして最後が、海外展開です。

中国企業の「出海」という言葉は、日本でもかなり知られるようになりました。

最初は、中国で作った製品を海外へ売るという意味で使われることが多かったと思います。

しかし、自動車ではすでに次の段階へ進んでいます。

車を輸出する。

現地に販売網を作る。

工場を作る。

部品メーカーも進出する。

物流網を整備する。

アフターサービス拠点を作る。

これだけでも、単なる輸出とはかなり違います。

ところが今回の十五五計画には、そのさらに先があります。

データです。

計画は、重点国・地域とのデータ越境協力、規制やコンプライアンスの連携、算力・アルゴリズム・データの運用拠点、そして「越境可信データ空間」などを国際化能力向上の中に入れています。

「可信データ空間」という言葉は少し分かりにくいですが、企業や国境をまたいで、ルールに沿ってデータを安全に共有・利用するための仕組みと考えると分かりやすいでしょう。

なぜ、自動車政策にここまでデータの話が出てくるのでしょうか。

答えは、現在の車の姿を考えると見えてきます。

車両がセンサーから情報を集める。

ソフトウェアが処理する。

クラウドと通信する。

OTAで機能を更新する。

自動運転や運転支援の改善にデータを使う。

海外で車が走れば、現地のデータ規制も関係します。

どのデータを取得できるのか。

どこに保存するのか。

どこまで国境を越えられるのか。

算力をどこに置くのか。

誰が保守するのか。

こうした問題まで、自動車会社の海外事業になるわけです。

私は、中国自動車産業の海外展開を次のように整理しています。

製品の出海

生産能力の出海

産業チェーンとデジタル運用基盤の出海

これは政策文書に書かれた正式な分類ではありません。

あくまで私なりの整理です。

ただ、完成車の輸出台数だけを見ていると、中国自動車産業の海外展開をかなり狭く見てしまうことになりそうです。

政策が変わったのは、産業の段階が変わったからではないか

ここまで計画を読んでいて、行動科学の視点から一つ気になることがあります。

政策もまた、企業に対して送るシグナルの一つだということです。

市場がまだ小さい段階なら、

参入してください。

投資してください。

技術を開発してください。

市場を広げてください。

というシグナルが必要になります。

企業は、そのインセンティブに反応します。

企業が参入する。

設備投資が増える。

競争が起きる。

価格が下がる。

市場がさらに大きくなる。

その結果として、中国のNEV産業は急速に成長しました。

しかし、市場が大きくなった後も、同じシグナルが最適とは限りません。

参入を促し続ければ、重複投資が増えるかもしれません。

設備拡大を促し続ければ、稼働率が下がるかもしれません。

価格競争が行き過ぎれば、品質やサプライヤーへ負荷が移るかもしれません。

そこで今度は、別のシグナルが必要になります。

再編する。

低効率な能力を退出させる。

品質を高める。

生産性を上げる。

AIを産業全体へ入れる。

部品と基盤技術を強くする。

私は今回の十五五計画を、そうしたインセンティブ設計の切り替えとして読むこともできると思っています。

もちろん、「これまでの政策が内巻を生んだ」と単純に因果関係を断定することはできません。

市場環境、企業戦略、地方の産業政策、技術革新、消費者の選好など、多くの要因が絡んでいます。

ただし、産業の段階が変われば、政策が企業へ送るシグナルも変わる。

この点は、企業経営にもよく似ています。

成長期に有効だったKPIが、成熟期には逆効果になる。

売上を増やすための評価制度が、いつの間にか過剰在庫を生む。

稼働率を上げる目標が、仕掛品を増やす。

一度うまくいった指標ほど、環境が変わっても残り続けます。

だから重要なのは、同じ目標を守り続けることではなく、環境が変わったときに、何を評価するかを変えられることなのだと思います。

中国のNEV政策も、今まさにその局面に入っているのかもしれません。

まとめ――何台売るかから、どんな産業を作るかへ

2030年、新エネルギー乗用車の国内新車販売比率を70%へ。

この数字は分かりやすいものです。

だから、ニュースの見出しにもなります。

しかし今回の十五五計画を最後まで読むと、70%はむしろ入口にすぎないように感じます。

生産能力をどう管理するのか。

企業再編をどう進めるのか。

AIを研究開発、生産、SCM、販売、サービスへどう入れるのか。

完成車だけでなく、半導体、OS、工業ソフト、センサーをどう育てるのか。

車、道路、通信、クラウド、エネルギーをどうつなぐのか。

そして、海外で車を売るだけではなく、現地の生産、部品、データ、デジタル運用までどう設計するのか。

こうして並べてみると、今回の計画が描いているものは、「EVをもっと売る中国」という姿とは少し違って見えます。

何台売るかから、どんな産業を作るかへ。

これから中国の新エネルギー車を見るとき、販売台数やシェアだけではなく、その後ろにどんな企業、工場、部品、AI、データ、通信、エネルギー、海外事業基盤が形成されていくのか。

そこまで見ることで、中国自動車産業が次にどこへ向かおうとしているのかが、もう少し立体的に見えてくるのではないでしょうか。

今回はここまでとします。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考資料

  1. 中国工業情報化部等9部門「工业和信息化部等九部门关于印发《智能网联新能源汽车产业发展“十五五”规划》的通知」2026年9月10日

  2. 中国工業情報化部「工业和信息化部举行新闻发布会 介绍智能网联新能源汽车产业高质量发展情况」2026年9月11日

  3. 中国工業情報化部「工业和信息化部介绍全力抓好“十五五”规划实施、加快推进新型工业化有关情况」2026年8月26日

  4. 中国汽車工業協会「2026年8月自動車産業統計」(国内販売比率。中国新聞網等による中汽協公表データ)

  5. 人民日報客户端「新能源车,比“70%”更值得关注的是什么?」2026年9月11日

  6. 第一財経「未来5年造车顶层规划出炉:产能预警首次写入,鼓励兼并重组」2026年9月11日

  7. 第一財経「智能网联新能源汽车产业发展“十五五”规划:加快人工智能在汽车研产供销服各环节的全面赋能和深度融合」2026年9月11日

  8. 第一財経「智能网联新能源汽车产业发展“十五五”规划:推动智能网联新能源汽车与网联基础设施协同发展」2026年9月11日

〖その数字は、原因を語っているか⑥〗不完全な証拠で、経営はどう決めるか――分析の正しさと決断の責任

前回まで、製品Xのキャンペーン効果を題材に、何もしなかった場合の未来、すなわち反実仮想をどのように考えるかを見てきました。

第4回では、ランダム割り付けによるA/Bテストを使い、施策をしなかった「双子」を人工的につくりました。第5回では、実験ができない状況でも、制度、導入時期、地域差、基準値などを手掛かりに、現実の中に残された双子を探しました。

そして、製品Xについて最終報告が経営会議へ上がってきます。

  • キャンペーン実施後に在庫は4,000個減った
  • 前年実績から想定される自然販売は約3,000個
  • 差の差法では、1店舗・1週間当たりの粗利改善効果は約15万円
  • 在庫日数90日前後の店舗でも、一定の改善が確認された
  • ただし、平行トレンドや境界付近の連続性には仮定が残る
  • 全国展開には約3,000万円が必要になる

分析担当者は、次のように説明します。

「複数の分析結果から、施策効果はプラスである可能性が高いと考えます。ただし、全店舗で同じ効果が得られるとは断言できません」

すると、担当役員から聞かれます。

「説明は分かりました。それで、3,000万円を投じるのですか」

この問いに、分析手法だけで答えることはできません。

ここで分析者が「はい、投じるべきです」と請け合えば、分析の範囲を越えて経営判断まで背負うことになります。一方、経営者が「分析結果が確定するまで決められない」と先送りすれば、不確実性を理由に決断の責任を手放すことになります。どちらも、分析と経営の役割を取り違えています。

因果推論は、施策によって何が起きる可能性が高いかを示します。しかし、その不確実性を踏まえて、どのリスクを取り、どこへ経営資源を配分するかは、経営が決めなければなりません。

分析は不確実性を減らすことはできる。しかし、決断の責任まで引き受けることはできない。

1.因果効果が分かっても、意思決定は完成しない

仮に、製品Xのキャンペーンが売上や粗利を押し上げると推定できたとしても、それだけで全国展開が合理的とは限りません。

施策の効果がプラスでも、必要な販促費がそれを上回れば、会社には利益が残りません。効果が短期間で消えるなら、システム改修費や教育費を回収できないかもしれません。製品Xへ3,000万円を投じれば、その資金を別の商品開発や設備更新へ使うこともできなくなります。

経営判断には、推定された因果効果に加え、次のような情報が必要です。

  • 施策に必要な費用
  • 効果が続く期間
  • 値引きによる既存需要の粗利減少
  • 他の投資機会を失う機会費用
  • 効果がなかった場合の損失
  • 施策を実施しなかった場合の機会損失
  • 結果が判明するまでの時間
  • 撤回や修正のしやすさ

因果推論が主として答えるのは、「施策が結果をどれだけ変えたか」です。

経営が答えるのは、「その効果と不確実性を踏まえ、限られた資源をどこへ配分するか」です。

推定された因果効果に、効果の幅、費用と採算、失敗時の損失、可逆性を重ねて経営判断へ進む。

「効果がある」は分析上の結論であり、「投資すべき」は経営上の結論である。

2.点ではなく、「幅」として効果を見る

第5回の差の差法では、製品Xのキャンペーンによる粗利の増分効果を、1店舗・1週間当たり約15万円と推定しました。

しかし、実際の効果が、どの店舗でも必ず15万円になるわけではありません。

データ量、店舗の構成、観測期間、季節変動、比較対象の選び方などによって、推定値には不確実性があります。店舗によって効果が異なる可能性もあります。

例えば分析担当者が、次のように報告したとします。

「中心的な推定値は15万円です。ただし、データ上は5万円程度から25万円程度までの可能性があります」

経営層にとって重要なのは、15万円という一点だけではありません。

  • 5万円の効果でも投資を回収できるか
  • 効果がゼロになる可能性はどの程度残っているか
  • マイナス効果になる条件は何か
  • どの店舗で効果が大きく、どの店舗で小さいか

こうした幅と条件まで見て、判断する必要があります。

会議では、一つの明確な数字が好まれます。「効果は15万円です」と断言する報告の方が、「5万円から25万円程度の幅があります」という報告より、自信があるように聞こえるからです。

しかし、幅を隠して一点だけを示すと、経営側は推定値を確定値として扱ってしまいます。投資回収の計算にも15万円をそのまま入れ、想定より効果が小さかったときに「話が違う」となるでしょう。

不確実性を示すことは、分析の弱さではありません。投資規模や撤退基準を決めるために必要な経営情報です。

幅のない推定値は分かりやすい。しかし、その分かりやすさが経営判断を過信させることがある。

3.二つの誤り――実施する損失と、実施しない損失

施策の判断には、大きく二種類の誤りがあります。

一つは、効果のない施策を実施してしまうことです。

販促費を失い、不要な値引きで粗利を削り、人員や時間を浪費する。さらに、偶然の変化を施策の成功だと信じ、誤った成功体験を全社へ広げる危険もあります。

もう一つは、効果のある施策を見送ってしまうことです。

得られたはずの利益を失い、在庫削減が遅れ、競合に先行される。実施しなければ、施策について学ぶ機会も得られません。

経営会議では、実施して失敗した損失は目立ちます。投じた金額、不良在庫、減少した粗利が帳簿に残るからです。

一方、実施しなかったために得られなかった利益は、帳簿には直接現れません。そのため、現状を維持する方が安全に見えます。

しかし、何もしないことも一つの意思決定です。そこにも機会費用が発生します。

施策の真の効果とGO/NO GOの組み合わせから、利益獲得、投資損失、機会損失、損失回避の四つの結果が生じる。

経営判断のリスクは、間違って実施することだけではない。間違って見送ることにもある。

4.必要なのは「正解」ではなく、誤った場合の損失を管理すること

施策が成功する可能性が70%だとしても、常にGOになるわけではありません。

例えば、失敗しても100万円の損失で済み、すぐに元へ戻せる施策と、失敗すれば3億円を失い、顧客や取引先への影響も元に戻せない施策があったとします。

成功する可能性が同じでも、合理的な判断は異なります。

反対に、成功する可能性がそれほど高くなくても、損失が限定され、成功した場合の利益が大きければ、小さく試す価値があります。

確認すべきなのは、「効果がある確率」だけではありません。

  • 成功した場合に何を得るか
  • 失敗した場合に何を失うか
  • その損失に会社が耐えられるか
  • 結果が悪ければ途中で止められるか
  • 判断を遅らせる間に何を失うか

取り消しや修正が容易な判断には、完全な証拠を待たず、小さく動く合理性があります。一方、工場閉鎖、巨額設備投資、全社基幹システムの変更など、後戻りしにくい意思決定には、より強い証拠と慎重な検証が必要です。

因果推論の精度だけを一律に高めようとするのではなく、間違えた場合の損失と可逆性に応じて、必要な証拠の水準を変えるべきです。

証拠の要求水準は、意思決定の大きさだけでなく、間違えたあとに戻れるかで決まる。

5.「全面展開か中止か」の二択から離れる

製品Xのキャンペーンについて、効果はプラスと推定されたものの、全国の店舗で同じ効果が出るかは分からないとします。

このとき、選択肢は「3,000万円を投じて全国展開する」か「中止する」かだけではありません。

例えば、次のような方法があります。

  • 対象店舗を30店から60店へ広げる
  • 効果が確認された店舗属性に限定する
  • 初期の投資上限を1,000万円に設定する
  • 主要指標を粗利と在庫削減額に固定する
  • 4週間ごとに進捗を確認し、8週間後に再評価する
  • 販促費を回収できなければ追加展開を停止する
  • 段階ごとに次の投資を承認する

最初の投資によって施策の効果を学び、その情報を使って次の投資を決めることができます。

待つことにも価値がありますが、小さく実施して学ぶことにも価値があります。

推定が不確かであるなら、報告書に注意書きを加えるだけでは不十分です。その不確実性を、対象範囲、投資上限、観測期間、継続条件、撤退基準へ反映させる必要があります。

小規模検証から条件付き展開、対象拡大、全社展開へ進み、各段階で継続・撤退を判断する。

不確実性は、報告書の注釈に残すものではない。投資規模と撤退条件に反映させるものである。

6.意思決定をゆがめる四つの心理

反実仮想を慎重に考え、因果効果を推定しても、最後の意思決定には人間の心理が影響します。

曖昧性回避

人は、結果の確率や幅が明確でない選択肢を避け、確実に見える現状維持を選びたくなります。

しかし、現状維持の結果も確実ではありません。施策をしない間にも、市場、競合、在庫の劣化は進みます。

確証バイアス

自分が提案または承認した施策については、プラスの推定値を強く信じ、成立条件や否定的な結果を軽く扱いやすくなります。

第2回で見たように、現場と経営陣が成功物語を共同でつくる関係は、分析結果が出たあとにも残ります。

サンクコストとコミットメントのエスカレーション

すでに投じた費用や、自分が決めたという事実に引きずられ、効果が弱くても追加投資を続けてしまうことがあります。

判断すべきなのは、過去にいくら使ったかではなく、これから追加する資源に対して、どのような効果を期待できるかです。

不作為バイアスと責任回避

実施して失敗する責任を避けるため、「もう少しデータが必要だ」と追加分析を求め続けることがあります。

もちろん、追加検証が必要な場合はあります。しかし、その分析によって判断が変わる可能性がほとんどないなら、追加分析は精度向上ではなく、決断の先送りになっているかもしれません。

データが不足していることと、決断する覚悟が不足していることは同じではない。

7.分析者と意思決定者の「健全な契約関係」

不完全な反実仮想を経営判断に使うためには、分析者と意思決定者の責任を分ける必要があります。

分析者には、観測された事実と推定を分け、反実仮想をどのように設定したかを説明する責任があります。比較を成立させる仮定、推定値の幅、分析が崩れる条件、未確認事項、分析からは言えないことも開示しなければなりません。

一方、経営者や事業責任者には、どの目的を優先し、どこまでの損失を許容するかを決める責任があります。証拠の強さに投資規模を合わせ、GO、NO GO、追加検証のどれを選ぶかを決め、最後に残った不確実性を引き受けます。

分析者が「必ず成功します」と保証し、経営者がその言葉を根拠に責任を手放す関係は健全ではありません。

反対に、分析者が「最終的には経営判断です」と言って、仮定や推定精度の説明まで放棄することも適切ではありません。

事実、推定、仮定、リスク、決断、事後評価について、分析者と意思決定者の責任を分ける。

稟議書や役員会資料にも、「分析が成立するための前提条件」「推定効果の幅」「結果を適用できる範囲」「許容損失」「継続・撤退基準」を記載する欄を設けるとよいでしょう。

ただし、形式的なチェック欄にするだけでは機能しません。どこまで分かっており、何がまだ分からないのかを、言葉で共有することが重要です。

分析者は不確実性を隠さない。意思決定者は、不確実性が残ることを理由に責任を返さない。

8.良い意思決定と、良い結果は同じではない

十分な証拠を確認し、損失を限定し、合理的にGOと判断しても、結果が悪くなることはあります。

反対に、根拠の乏しい施策が、偶然成功することもあります。

結果だけで判断の質を評価すると、偶然の成功を優れた判断として称賛し、合理的だった挑戦を、失敗したという理由だけで否定することになります。

さらに、結果を知ったあとで、「こうなることは最初から分かっていた」と感じやすくなります。これは後知恵バイアスです。

経営会議でも、施策後の結果を見て、当時の判断材料以上のことが分かっていたかのように、過去の決断を評価しがちです。

評価すべきなのは、結果だけではありません。意思決定時点で利用できた情報をもとに、事実と推定を分けたか、仮定を明示したか、失敗時の損失を想定したか、撤退条件を決めたか、他の選択肢と比較したかという判断過程です。

合理的な手順で不確実性を引き受けた挑戦であれば、結果がマイナスに終わっても、その判断過程と得られた知見を組織の学習資産として残すことができます。

反対に、偶然の成功だけを称賛し、合理的な失敗を処罰する組織では、やがて誰も不確実な課題に挑まなくなります。成功物語だけが会議に上がり、都合の悪い仮定や失敗の兆候は隠されるようになります。

結果は意思決定の成否を示す。しかし、意思決定の質まで結果だけで決めてはいけない。

9.経営会議で確認する最後の七つの問い

製品Xへの3,000万円の追加投資を判断する前に、経営層が確認したい問いを整理します。

  1. 観測された事実と、推定された因果効果は分けられているか
  2. どの反実仮想を使い、どの仮定の上に推定値が立っているか
  3. 効果は一点ではなく、どの程度の幅があるか
  4. 効果が小さい場合やマイナスの場合、どれだけ損失が出るか
  5. 見送った場合には、どのような機会損失があるか
  6. 全面展開ではなく、小さく実施して学ぶ方法はないか
  7. 誰が仮定を説明し、誰が残されたリスクを引き受けるのか

これは書類や会議の項目を増やすことが目的ではありません。

断定的な成功物語ではなく、仮定とリスクを共有したうえで判断する仕組みをつくるためです。

事前に問いを定めておけば、施策後に都合のよい指標へ切り替えたり、結果に合わせて成功条件を書き換えたりすることも防ぎやすくなります。

経営会議で最後に問うべきなのは、「この数字は正しいか」だけではない。「この不確実性を、どの条件なら引き受けられるか」である。

10.「その数字は、原因を語っているか」を組織の習慣にする

この連載では、製品Xの在庫が1万個から6,000個へ減ったという事実から考え始めました。

[第1回「売上が上がったから、施策が効いたのか」]では、4,000個減ったという事実と、キャンペーンによる増分効果を分けました。

[第2回「『施策が効いた』を生む心理と組織力学」では、人や組織が、自分たちに都合の悪い反実仮想を避け、成功物語をつくる心理を考えました。

[第3回「その比較対象は、本当に比べられるか」]では、前年比や他店舗との比較に入り込む選択バイアス、交絡、平均への回帰、構成比の違いを見ました。

[第4回「施策をしなかった『双子』をつくる」]では、ランダム割り付けによって、施策をしなかった双子を人工的につくりました。

[第5回「現実の中に残された『双子』を探す」]では、ランダム実験ができない現実の中から、自然実験、差の差法、回帰不連続デザインによって双子を探しました。

そして最終回では、不完全な推定結果を、投資規模、許容損失、可逆性、撤退基準へつなぎ、最後に残るリスクを誰が引き受けるのかを考えています。

事実を分け、反実仮想を置き、心理と比較の罠を確認し、双子を調達し、不確実性を引き受けて決める。結果を検証し、次の判断へつなげる。

因果推論は、一度だけ正しい答えを出す技術ではありません。

施策前に仮定と成功条件を決め、実施後に結果を確認し、想定と違った理由を調べ、次の判断を更新する。その循環を組織の習慣にするための考え方です。

因果推論は、一度だけ正しい答えを出す技術ではない。判断し、結果を確かめ、次の判断を更新するための経営習慣である。

まとめ:数字に決断させない

今回は、不完全な因果推論を、どのように経営判断へつなげるかを考えました。

  • 因果と判断の分離: 効果があることと、投資すべきことは別の問い
  • 不確実性の可視化: 推定値を一点ではなく幅として捉える
  • 二つの誤りの比較: 実施する損失と、見送る機会損失の双方を見る
  • 可逆性の確認: 後戻りしにくい判断ほど、強い証拠を求める
  • 段階的な意思決定: 不完全な証拠には、小さく試して学ぶ方法で応える
  • 心理的な罠の管理: 曖昧性回避、確証バイアス、サンクコスト、不作為、後知恵に注意する
  • 責任の明確化: 分析者は仮定を開示し、意思決定者は残されたリスクを引き受ける
  • 判断過程の評価: 結果だけでなく、当時の情報に基づく判断の質を見る

製品Xへの3,000万円の追加投資について、経営会議は次のように決めました。

対象店舗を限定し、初期投資の上限を1,000万円として追加展開する。主要指標は粗利と在庫削減額とし、4週間ごとに確認する。8週間後に再評価し、推定効果の下限を下回り、販促費を回収できない場合には追加展開を中止する。

これは、決断を避けた結論ではありません。

不確実性に見合う大きさでリスクを引き受け、同時に、次の判断に必要な情報を得るという経営判断です。

数字は、原因を完全には語りません。反実仮想も、直接見ることはできません。

それでも私たちは、事実と推定を分け、比較対象を吟味し、仮定と不確実性を開示することで、判断の質を高めることができます。

数字に決断させるのではありません。数字が何を語り、何を語っていないのかを理解したうえで、人が決断します。

「その数字は、原因を語っているか」と問い続ける。答えを断言するためではない。分からない部分を明らかにしたうえで、それでも決めるためである。

全6回にわたり、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

  • Kahneman, D. and Tversky, A.(1979), “Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk,” Econometrica, 47(2), pp.263–291.
  • Staw, B. M.(1976), “Knee-Deep in the Big Muddy: A Study of Escalating Commitment to a Chosen Course of Action,” Organizational Behavior and Human Performance, 16(1), pp.27–44.
  • Baron, J. and Hershey, J. C.(1988), “Outcome Bias in Decision Evaluation,” Journal of Personality and Social Psychology, 54(4), pp.569–579.
  • Fischhoff, B.(1975), “Hindsight Is Not Equal to Foresight: The Effect of Outcome Knowledge on Judgment under Uncertainty,” Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance, 1(3), pp.288–299.
  • March, J. G.(1994), A Primer on Decision Making: How Decisions Happen, Free Press.

〖その数字は、原因を語っているか⑤〗現実の中に残された「双子」を探す――自然実験・差の差法・回帰不連続デザイン

前回は、製品Xのキャンペーン効果を確かめるために、対象店舗をランダムに実施群と非実施群へ割り付けるA/Bテストについて考えました。

人が「売れそうな店舗」や「協力的な店舗」を選ぶのではなく、偶然に委ねることで、施策以外の条件が平均的にそろった二つのグループをつくる。その差から、施策をしなかった場合の結果、すなわち反実仮想を推定する方法です。

しかし、実際のビジネスでは、いつでもランダム割り付けができるとは限りません。

ある経営会議で、次のようなやり取りがあったとします。

「製品Xのキャンペーンを一部地域だけで試して、残りを比較対象にしてはどうでしょうか」

担当役員が答えます。

「もう全国の取引先に案内を出している。一部だけ中止にはできない」

別の担当者も続けます。

「そもそもシステムの更新時期が地域ごとに違います。こちらの都合で開始日をそろえることも難しいです」

そこで、こんな疑問が出てきます。

「ランダムに分けられないなら、もう効果は分からないということですか」

答えは「いいえ」です。

自分たちで施策をした世界と、しなかった世界の双子をつくれなくても、制度、時期、地域、基準値などによって、現実の中に似た状況が生まれていることがあります。

経営者は実験室をつくることはできなくても、ビジネスの現場に生まれた「偶然の実験場」を見つける目を持つことはできます。

ただし、自然に存在する二つのグループを比べれば、それだけで自然実験になるわけではありません。

自然実験は、自然に起きた比較ではない。施策の有無を分けた理由が、結果そのものから切り離されているかを問う設計である。

1.自分で分けられないなら、「分けた仕組み」を調べる

第3回では、製品Xのキャンペーンを実施した店舗と、実施しなかった店舗を比較しました。

ところが、実施店舗には、販売力の高い店長や固定客の多い店舗が選ばれていました。キャンペーン後の販売数が多かったとしても、それがキャンペーンの効果なのか、もともとの店舗の強さなのかは分かりません。

つまり、比較対象があることと、比較可能であることは同じではありません。

そこで第4回では、人が対象を選ぶことで生じる偏りを避けるため、ランダム割り付けを使いました。

では、自分たちで割り付けを決められないときは、何を見ればよいのでしょうか。

最初に確認したいのは、実施群と非実施群の見た目がどれだけ似ているかではありません。

なぜ、一方には施策が実施され、もう一方には実施されなかったのか。

その「割り振りの仕組み」を調べます。

例えば、法改正の施行時期、以前から決まっていたシステム移行日程、地域の境界線、補助金の適用基準、設備更新の都合、在庫日数などの基準値です。

製造業やサプライチェーンの現場でも、工場ラインの移管時期、物流拠点の統合日程、仕入先の切り替え時期などが、製品群や地域によって異なることがあります。その順序が、需要や採算性ではなく、設備、人員、認証、契約などの外部的な制約によって決まっていたなら、効果を検証するための手掛かりになる可能性があります。

製品Xのキャンペーンが、POSシステムの更新に合わせて始まったとします。ある地域では4月、別の地域では7月に更新された。その日程がキャンペーンの企画前から決まっており、店舗の販売力や売上見込みとは関係がなかったのであれば、開始時期の違いを効果の推定に利用できるかもしれません。

一方、将来性の高い地域、売上の伸びている店舗、協力的な店長がいる店舗から優先して更新したのであれば、話は変わります。施策を受けた理由と、将来の売上が最初から関係しているからです。

見た目の近い二つの店舗を探すだけでは足りません。両者を分けた仕組みまで確認して、初めて反実仮想の候補になります。

現実の中に双子がいるかどうかは、見た目の近さではなく、施策の有無を分けた仕組みで決まる。

2.自然実験――偶然は、原因を切り分ける機会になる

通常の実験では、分析者や企業が施策を受ける対象を割り付けます。それに対して自然実験では、分析者が割り付けを操作しません。制度変更や運用上の事情など、外部の仕組みによって、施策を受ける対象と受けない対象が分かれた状況を利用します。

重要なのは、単に「自然に分かれた」ということではありません。施策を受けるかどうかが、結果に影響する能力、意欲、将来性などとは無関係に、ランダムまたはランダムに近い形で決まっている必要があります。

製品XのPOS更新日程が、保守会社の作業計画によって以前から決まっていたのであれば、先行地域と後発地域の違いはキャンペーン効果を調べる手掛かりになります。しかし、販売力の高い店舗が更新を強く要望して優先されたのであれば、そこには再び選択バイアスが入り込みます。

経営層としては、少なくとも次の四点を確認する必要があります。

  • 施策を受けるかどうかを決めたものは何だったのか
  • その仕組みは、結果が出る前に決まっていたのか
  • その仕組み自体が、売上や利益に直接影響していないか
  • 店舗や担当者が、対象になるかどうかを操作できなかったか

例えば、POSシステムの更新自体が会計処理を速め、欠品を減らしていたなら、キャンペーンとシステム更新の効果を切り分けられません。現実に起きた差を使うからこそ、その差がどのように生まれたのかを丁寧に確認しなければなりません。

探すべきものは、偶然らしい出来事ではない。結果と切り離された割り振りの仕組みである。

3.差の差法――「変化の差」から反実仮想を推定する

自然実験や段階導入の状況で、よく使われる方法の一つが「差の差法」です。英語ではDifference-in-Differences、略してDiDと呼ばれます。

製品Xのキャンペーンを先に開始した地域と、まだ開始していない地域について、1店舗・1週間当たりの粗利を比較してみます。

キャンペーン地域の粗利は、実施前の100万円から実施後には130万円へ増えました。30万円の増加です。これだけを見ると、「キャンペーンによって粗利が30万円増えた」と報告したくなります。

しかし、比較地域でも、粗利は90万円から105万円へ増えていました。こちらも15万円増えています。同じ時期に季節需要が高まった、景気が回復した、競合商品が欠品したなど、市場全体の変化があった可能性があります。

そこで、二つの地域の「変化の差」を取ります。

(キャンペーン地域の実施後-実施前)-(比較地域の実施後-実施前)

今回の数字では、次のようになります。

(130万円-100万円)-(105万円-90万円)=30万円-15万円=15万円

キャンペーンによる粗利の増分効果は、1店舗・1週間当たり15万円と推定されます。

一つ目の差で、それぞれの地域に起きた時間的な変化を捉えます。二つ目の差で、キャンペーンを実施しなくても起きたと考えられる市場全体の変化を差し引きます。

差の差法は、施策後の差を見る方法ではない。施策がなくても生じたはずの変化を差し引く方法である。

4.差の差法を支える「平行トレンド」という仮定

差の差法は、数字を式に当てはめれば完成するものではありません。その背後には、「平行トレンド」と呼ばれる重要な仮定があります。

キャンペーンが実施されなかったとしても、キャンペーン地域と比較地域は、同じような傾向で変化していたはずだという仮定です。

少し比喩的に表現するなら、平行トレンドで確認したいのは、次のようなことです。

キャンペーンという帆の張り方だけが違い、季節性や景気という風は、両地域に同じように吹いていたと考えられるか。

もし一方の地域だけに強い追い風が吹いていたなら、船の進み方の違いを帆、すなわちキャンペーンの効果だけで説明することはできません。

実務では、施策前の複数期間について両地域の推移を確認するとともに、次の点を調べます。

  • 片方の地域だけで、別の販促施策が始まっていなかったか
  • 店舗の閉鎖や大型店の新規開店がなかったか
  • 顧客構成や販売チャネルが大きく変わっていないか
  • 施策開始前から買い控えや先行販売が起きていないか
  • 先行地域の広告が後発地域にも届いていないか
  • 競合企業の出店や値下げが片方だけで起きていないか

特に注意したいのが、スピルオーバーです。先行地域の広告を比較地域の顧客も見ていれば、比較地域は「何もしなかった世界」の代役ではなくなります。

また、地域ごとに導入時期が異なる場合、早期導入地域と後発地域を単純に比べると、導入時期や効果の持続期間の違いによって推定がゆがむことがあります。計算式が簡単であることと、比較が簡単であることは同じではありません。

平行トレンドとは、二本のグラフが似ていたという事実ではない。施策がなくても同じ変化をしたと説明できるかという反実仮想の仮定である。

5.回帰不連続デザイン――境界のすぐ両側を比べる

現実の中に残された双子を探す方法は、時期の違いを利用する差の差法だけではありません。何らかの基準値によって施策の対象が決められている場合、その境界を利用できることがあります。

これが「回帰不連続デザイン」です。英語ではRegression Discontinuity Design、略してRDDと呼ばれます。

製品Xの在庫対策キャンペーンについて、会社が「在庫日数が90日以上の店舗に限り、値引き原資と販促費を支給する」という基準を設けたとします。

在庫日数60日の店舗と120日の店舗では、取扱量、商圏、店舗規模、在庫管理能力などが異なる可能性があります。一方、在庫日数89日の店舗と91日の店舗であれば、状態はかなり似ています。それにもかかわらず、90日という境界を挟んで施策の有無だけが変わります。

在庫日数と将来の成果との関係が、90日の前後で滑らかにつながっていると考えられるなら、その境界で突然生じた段差を、キャンペーン効果として推定できる可能性があります。

もちろん、基準値があるだけでRDDが成立するわけではありません。90日を境に販促費だけでなく専門チームも派遣されるなら、どちらの効果か分かりません。また、店舗が基準値を操作できないことも重要です。

例えば、「90日以上なら販促費が出る」と知った店長が、発注や出荷の時期を調整し、在庫日数89日の店舗を意図的に91日へ動かしていたらどうでしょうか。こうした「社内ハック」、すなわちゲーミングが起きれば、境界のすぐ両側は、もはや偶然に分かれた双子とはいえません。

さらに、RDDで推定できるのは、主として境界付近の対象に対する効果です。90日前後の店舗で有効だったとしても、30日や200日の店舗でも同じ効果が得られるとは限りません。

RDDが比べるのは、遠く離れた実施群と非実施群ではない。境界のすぐ両側にいる、ほとんど同じ対象である。

6.手法の名前だけでは、反実仮想は完成しない

「差の差法で分析しました」「RDDを使って効果を算出しました」と説明されると、高度で信頼できる分析のように聞こえるかもしれません。しかし、手法の名前そのものが因果関係を保証するわけではありません。

どの方法にも、「この条件が成り立つなら、この比較を反実仮想の代役として使える」という成立条件があります。推定された効果の数字だけでなく、その数字を支えている仮定も合わせて確認しなければなりません。

手法の名前が因果を保証するのではない。比較が成立する条件をどこまで説明できるかが、証拠の強さを決める。

7.どの方法を選ぶか――経営判断から逆算する

実務では、「差の差法を使いたい」「AIでデジタルツインをつくりたい」と、分析手法から議論が始まることがあります。しかし、先に確認すべきなのは、何を判断するための分析なのかということです。

製品Xであれば、全国展開に3,000万円を投じるべきか、どの店舗まで広げるべきか、値引き原資を継続すべきかという経営判断があります。必要な証拠の強さは、意思決定の規模と、間違えた場合の損失によって変わります。

まず、安全かつ倫理的にランダム割り付けができるなら、RCTやA/Bテストを検討します。それが難しい場合は、制度、導入時期、地域差、境界、基準値などを利用できないか探します。現実に比較可能な状況がなければ、デジタルツインやシミュレーションで仮説やリスクを絞り込みます。

それでも証拠が弱いのであれば、「全社展開する」か「何もしない」かの二択にする必要はありません。投資規模を小さくする、対象地域を限定する、撤退基準を決める、段階的に広げる。不確実性に合わせて意思決定の大きさを調整できます。

また、一つの方法だけに依存する必要もありません。DiD、RDD、現場で確認したメカニズムなど、異なる証拠が同じ方向を示せば、判断の確信度は高まります。反対に結論が食い違えば、それは追加で調べるべき重要な経営情報です。

最適な手法は、最も高度な手法ではない。意思決定に必要な証拠を、現実の制約の中で最も誠実につくれる手法である。

8.経営層が分析報告で確認したい六つの問い

経営層が、差の差法やRDDの数式を自ら計算する必要はありません。しかし、分析担当者が提示した数字について、次の六つは確認する必要があります。

  1. 施策を受けた対象と受けなかった対象は、何によって分かれたのか
  2. 売上見込みや担当者の判断が、その振り分けに影響していないか
  3. DiDでは、なぜ平行トレンドを想定できるのか
  4. RDDでは、基準値を操作できず、別の制度も同時に変わっていないか
  5. 推定された効果は、どの地域・店舗・顧客まで当てはまるのか
  6. 結果がプラス、マイナス、不明確だった場合、それぞれ何を判断するのか

これらは、現場を詰問するための質問ではありません。分析者が置いた仮定、未確認の事項、結果を適用できる範囲を、経営側と共有するための問いです。

この六つの問いを毎回口頭で確認するだけでは、会議の時間や出席者によって扱いが変わってしまいます。例えば、稟議書や役員会資料に「分析が成立するための前提条件」と「結果を適用できる範囲」という欄を設け、未確認事項も含めて記載するようにすれば、因果推論を個人の注意力ではなく、組織の意思決定手順として定着させることができます。

経営層が「結局、効果はあるのか、ないのか」と結論だけを求めれば、現場は不確実性を隠し、断定的な物語をつくるようになります。一方、「どの条件なら、この数字を信頼できるのか」と聞けば、分析の限界も意思決定の材料になります。

経営層が確認すべきなのは、「高度な分析か」ではない。「どの仮定の上に、この数字が立っているか」である。

まとめ:不完全な双子でも、使い方はある

今回は、ランダム割り付けができない状況で、現実の中に残された反実仮想の代役を探す方法について考えました。

  • 割り振りの仕組みを見る: 見た目が似た比較対象ではなく、施策の有無を分けた理由を確認する
  • 自然実験を探す: 結果と切り離された制度、時期、地域、境界などを利用する
  • 変化の差を測る: 差の差法では、施策をしなくても起きた変化を比較群から差し引く
  • 平行トレンドを吟味する: 施策がなくても両群が同じように変化したと説明できるかを考える
  • 境界付近を比べる: RDDでは、基準値のすぐ両側にいる対象を比較する
  • ゲーミングを疑う: 評価や予算に使われる基準値は操作される可能性がある
  • 手法より仮定を見る: 分析手法の名前ではなく、比較が成立する条件を確認する
  • 証拠に投資規模を合わせる: 不確実性が大きければ、対象と投資を限定して段階的に判断する

RCTを実施できないからといって、因果推論を諦める必要はありません。現実のビジネスには、制度変更、導入時期、地域差、基準値など、反実仮想を考えるための手掛かりが残されています。

私自身、生産管理や在庫管理の仕事をするなかで、すべての施策を実験として設計できるわけではないと感じています。

工場移管、仕入先変更、発注基準の見直し、不稼働在庫の処分、物流条件の変更。こうした意思決定では、対象をランダムに分けることが難しく、すでに変化が始まっていることも少なくありません。

それでも、変更時期が異なる製品群はなかったか。適用基準の前後に似た製品はなかったか。外部要因によって対応が分かれた取引先はなかったか。「実験できなかった」で終わらせず、現実が残した差の理由をたどることで、判断材料を増やすことはできます。

ただし、そこで見つかる双子は完全ではありません。差の差法には平行トレンドなどの仮定があります。RDDには境界付近での連続性や、基準値を操作できないという条件があります。どれほど精緻に分析しても、何もしなかった未来を直接観測することはできません。

では、不完全な証拠しかない状況で、経営者はどこまで投資し、どこで撤退し、誰が残された不確実性を引き受けるのでしょうか。分析者は、どこまでを数字として示し、どこからを仮定として説明すべきなのでしょうか。

次回の第6回では、これまでの連載を総括しながら、「分析の正しさ」と「決断の責任」をどのように分け、不完全な反実仮想を経営判断へつなげるかを考えます。

反実仮想は、見つけた瞬間に完全になるのではない。仮定を開示したとき、初めて経営判断に使える。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

  • Callaway, B. and Sant’Anna, P. H. C.(2021), “Difference-in-Differences with Multiple Time Periods,” Journal of Econometrics, 225(2), pp.200–230.
  • Cattaneo, M. D. and Titiunik, R.(2022), “Regression Discontinuity Designs,” Annual Review of Economics, 14, pp.821–851.
  • Dunning, T.(2012), Natural Experiments in the Social Sciences: A Design-Based Approach, Cambridge University Press.
  • Imbens, G. W. and Lemieux, T.(2008), “Regression Discontinuity Designs: A Guide to Practice,” Journal of Econometrics, 142(2), pp.615–635.
  • Angrist, J. D. and Pischke, J.-S.(2009), Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist’s Companion, Princeton University Press.

〖その数字は、原因を語っているか④〗「施策をしなかった双子」をつくる――ランダム割り付けによるA/Bテスト

前回は、比較対象があっても、比較可能とは限らないことを考えました。

製品Xのキャンペーン実施店舗は、非実施店舗より20%多く販売しました。しかし、実施店舗には固定客が多く、販売力の高い店長がいました。観察された差には、キャンペーンの効果だけでなく、もともとの店舗力や顧客構成の違いも含まれている可能性があります。

そのため、ほかの商品へ3,000万円を投じる横展開は、いったん保留になりました。

次の会議で、担当者が新しい検証案を示します。

「対象条件を満たす60店舗を選び、30店舗ではキャンペーンを実施し、残る30店舗では通常販売を続けます。どちらに入るかは、ランダムに決めたいと思います」

すると、役員から疑問が出ました。

「効果がありそうな施策を、半分の店舗で実施しないのは機会損失ではないか」

「立地や売上が似た店舗を、人が選べばよいのではないか」

「最後をくじ引きで決めるのは、経営判断の放棄ではないか」

いずれも、実務では自然な疑問です。しかし、効果を測る場面では、「有望だから選ぶ」という判断そのものが、前回見た選択バイアスや交絡を生みます。

ランダム割り付けで偶然に委ねるのは、キャンペーンの内容でも、投資上限でも、成功基準でもありません。経営が検証条件を決めたうえで、最後の「どの店舗へ実施するか」だけを、人の都合から切り離します。

今回は、ランダム割り付けによるA/Bテストが、直接見ることのできない反実仮想の代役をどのようにつくるのかを考えます。

ランダム割り付けは判断の放棄ではない。経営が決めた条件の中で、施策対象の選定だけを人の都合から切り離す仕組みである。

選ばないことで、比較可能な集団をつくる

これまでの製品Xの検証では、固定客の多さ、店長の販売力、過去の販促実績、協力の得やすさからキャンペーン店舗を選んでいました。いずれも合理的な条件ですが、製品Xの販売数にも影響します。施策対象を選んだ時点で、二つの集団に系統的な差が入り込みます。

ランダム割り付けでは、対象条件を満たす店舗を、偶然によってキャンペーン群と通常販売群へ分けます。各店舗がどちらへ入るかを、店長の力量や担当者の期待から切り離すことで、観察できる特徴だけでなく、把握していない特徴についても、平均的には二つの集団へ散らばりやすくなります。

このような比較は、ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial:RCT)と呼ばれます。ビジネスでは、ランダム割り付けを伴うA/Bテストとして実施されることがあります。

そのうえで、同じ期間に観察した二群の差を比べます。通常販売群は、キャンペーン群で直接見ることのできない「キャンペーンをしなかった場合」の代役になります。

もちろん、あるキャンペーン店舗と完全に同じ店舗を一つつくれるわけではありません。A/Bテストがつくるのは、一店舗ごとの生き写しではなく、集団として見たときの双子です。

経営の役割も消えません。次の事項は、経営側が決めます。

  • 何を検証するか
  • どの店舗を対象候補にするか
  • 何を成功指標にするか
  • どのリスクを許容するか
  • 結果を受けて投資するか

偶然に委ねるのは、その条件内での割り付けだけです。

判断を手放すのではなく、判断力を使う場所を変える。

A/Bテストがつくるのは、一店舗ごとの双子ではない。集団としての「施策をしなかった自分たち」である。

ランダム抽出とランダム割り付けは、何が違うのか

ここで、混同されやすい二つの言葉を分けておきます。

一つは「ランダム抽出」です。母集団から、調査や実験に参加する店舗や顧客を無作為に選びます。主に関係するのは、得られた結果をどの範囲まで一般化できるかという問題です。

もう一つが「ランダム割り付け」です。実験の対象になった店舗や顧客を、施策ありと施策なしへ無作為に分けます。主に関係するのは、二群の結果差を施策の因果効果として、どれだけ偏りなく推定しやすいかという問題です。

製品Xで考えると、全国の店舗から実験対象の60店舗をどう選ぶかが抽出です。その60店舗を、キャンペーン群30店舗と通常販売群30店舗へどう分けるかが割り付けです。

都市部だけを抽出すれば、その結果が地方にも当てはまるとは限りません。これは、効果を適用する範囲に関する「外側」の問題です。一方、都市部でも売れそうな店舗だけへ施策を実施すれば、効果があったかどうかさえ分かりません。こちらは「内側」の問題です。

実務で「A/Bテスト」と呼ばれる比較が、常にランダム化比較試験になるわけではありません。希望者や有望店舗を一方へ入れれば、AとBの名称を付けても選択の偏りは残ります。

抽出の誤りは、効果を適用する相手を誤らせる。割り付けの誤りは、効果があったかどうか自体を誤らせる。

製品XのA/Bテストをどう設計するか

では、製品Xのキャンペーンを例に、実験を組み立ててみます。

1.対象条件を決める

まず、在庫量、商圏、販売体制などから、施策を実施できる60店舗を選びます。60という数字は説明上の例であり、必要数は販売数のばらつき、見つけたい効果、割り付け単位によって変わります。

2.重要な条件で層をつくる

地域、店舗規模、キャンペーン前の販売水準など、結果へ強く影響しそうな条件で店舗をいくつかの層に分けます。

例えば、大型店と中小型店を分け、それぞれの中で半分ずつ割り付けます。これを層別ランダム割り付けと呼びます。似た条件のまとまりを先につくり、その中で偶然に委ねます。

3.施策あり・なしへランダムに割り付ける

各層の店舗を、次の二群へ分けます。

  • A群30店舗:値引きと広告キャンペーンを実施
  • B群30店舗:通常価格・通常販促を継続する対照群

もし、同じ商圏内で広告がB群の顧客にも届くなら、店舗単位の割り付けでは施策が混ざります。その場合は、商圏や地域を一つのまとまりとして割り付ける方法も検討します。

4.同じ期間、同じ定義で測る

実施期間を8週間とし、両群で同じ方法、締め日、指標を使います。集計期間や分析方法も先に決めます。

5.経営判断に合う指標を決める

製品Xの目的が3,000万円の横展開判断なら、主要指標を販売個数だけにするのは不十分です。

値引き後の粗利から追加費用を差し引き、通常販売群との差を見る「増分利益」を主要指標にします。販売個数、在庫削減量、再購入率は補助指標、既存商品の売上減少、返品、顧客離れは不利益として記録します。

6.成功・撤退・追加検証の基準を先に決める

増分利益が横展開の費用を回収できれば展開候補、マイナスなら中止、判断できなければ追加検証といった基準を、稟議や承認の段階で合意します。結果を見て物語を書き換えないための、事前コミットメントです。

売れたかどうかではなく、どの指標を満たせば3,000万円を投じるのかを、実験前に決めておく。

ランダムに分けても、条件が完全にそろうとは限らない

ランダム割り付けは、二群を完全に同じにする魔法ではありません。

店舗数が少なければ、大型店や有力店長が偶然どちらかへ偏ることがあります。実施期間中に、一方の店舗だけで大口注文や近隣競合の休業が起きるかもしれません。

そのため、実験前の販売水準、推移、店舗規模、地域、顧客構成を確認します。重要な条件で層をつくるのも、偶然の偏りを小さくする工夫です。

ただし、結果を見た後で「この店舗は特殊だから」と群を入れ替えることはできません。都合の悪い店舗を外せば、人が選ぶ比較へ戻ってしまいます。

また、二群に差が出ても、一点の数字だけで受け取りません。店舗間のばらつきが大きければ不確実性は残ります。実験規模や期間は、見つけたい最低限の効果と、判断を誤るリスクから逆算します。

経営層に必要なのは、統計用語の細部を暗記することではありません。「この店舗数とばらつきで、3,000万円を決めるだけの精度があるか」と確認することです。

ランダム割り付けは不確実性を消さない。人の選択による偏りを、測定して判断できる偶然のばらつきへ変える。

なぜ組織はランダム割り付けを嫌がるのか

仕組みを理解しても、A/Bテストの導入には心理的な抵抗が残ります。

実施しない店舗が、機会損失に見える

会議では、A群で生まれるかもしれない売上は目に見えます。一方、効果のない施策を全店へ広げる損失は、まだ起きていないため見えにくいままです。

ここには、何かをする方を選びやすい「行動バイアス」と、目の前の取り逃しを重く見る「損失回避」が重なっています。

しかし、キャンペーンの効果がマイナスだった場合、全60店舗へ一斉展開すれば損失も全店へ広がります。30店舗で試していれば、少なくとも検証期間中の被害を限定できます。

A/Bテストは、成功を小さく試す「攻め」と、未知の損失を限定する「守り」の両方を担います。

人が選ぶ方が、責任ある判断に見える

経験豊富な担当者の選定力は、通常業務では価値があります。ただ、効果検証では、選定の精度が高いほど「施策店舗」と「売れやすい店舗」が重なり、施策効果と選定能力を分けられなくなります。

自分で対象を選ぶ方が結果を制御できるという「コントロール幻想」や、過去の成功評価が揺らぐことへの不安も、偶然に委ねることを難しくします。

一部だけ実施するのは不公平に見える

顧客や店舗に明確な不利益が生じる場合、公平性への配慮は欠かせません。一方、すべての店舗へ同時導入する必要がない施策なら、導入順をランダムに決める段階導入もあります。

一部の地域から順に開始し、全対象が最終的に施策を受ける方法です。専門的にはステップウェッジ型のデザインが選択肢になります。ただし、季節性などの時間変化を区別できるよう、開始時期と分析方法を事前に設計します。

なお、効果がすでに明白な安全対策や、施策を与えないこと自体が重大な不利益になる場合まで、無理にランダム化するべきではありません。倫理、安全、法令、顧客との約束は、実験より優先されます。

A/Bテストは効果を見つける手段であると同時に、未知の損失を全社へ広げないための保険でもある。

A/Bテストは、実施後の運用で壊れる

実験計画にランダム割り付けと書いてあっても、それだけでは十分ではありません。現場での運用によって、比較可能性は崩れます。

現実の店舗では、欠品で値引きできない日や、広告掲示が遅れる店舗もあります。

大切なのは、現場を無菌室のようにすることではありません。どの店舗がどの群へ割り付けられ、実際には何が行われたかを分けて記録することです。

効果を見る際は、まず当初の割り付けに従ってA群とB群を比較します。これは「割り付けベースの分析」、専門的にはITTと呼ばれる考え方です。

「指示通り実施した店舗だけ」を集め直すと、実行力の高い店舗だけが残り、再び選択バイアスが生まれます。

もちろん、実際にどの程度施策が実施されたかも、改善のために重要です。ただし、当初の割り付け結果と実施状況を混ぜず、二つを別々に報告します。

実験の規律とは、現場を無菌室にすることではない。割り付けと実施のずれを記録し、結果から都合よく除かないことである。

現実で実験できないとき、デジタルツインは何ができるか

すべての経営判断で、現実のA/Bテストができるわけではありません。

工場設備の更新、物流網の再編、基幹システムの切り替えなどは、費用が大きく、簡単には元へ戻せません。店舗間の影響が強く、施策ありとなしを分離できない場合もあります。

そこで、デジタルツインやシミュレーションを使い、現実の設備や業務をモデル上に再現して、施策ありと施策なしのシナリオを比べる方法があります。

例えば、工場ラインのボトルネック解消や、全社在庫の安全在庫基準の変更は、現場でいきなりA/Bテストを行いにくい領域です。設備能力、需要変動、在庫、輸送制約をモデルへ入れ、設備増強や安全在庫基準の変更の有無によって、生産量、欠品、納期、在庫金額がどう変わるかを試算します。現実へ適用する前に、どの前提で結果が変わるかを確認できます。

ただし、モデルの中の双子は、与えた前提と過去データの範囲で動きます。競合の反応、従業員の習熟、顧客行動などをモデルが十分に表していなければ、精密な計算でも現実の因果効果とはずれます。

デジタルツインは、仮説を絞り、シナリオを試し、現実のテスト規模を小さくするために使えます。同時に、妥当性確認と不確実性の評価が欠かせません。

反実仮想の代役を用意する方法は、一つではありません。

デジタルツインは、仮説を試す場所にはなる。しかし、現実の因果関係を自動的に証明するものではない。

A/Bテストを承認する前に、経営層が確認する六つの問い

経営層が実験計画を受け取ったとき、細かな統計計算を自ら行う必要はありません。まず、次の六つを確認します。

1.この実験で、どの意思決定を変えるのか

3,000万円の横展開、対象商品の変更、施策の中止など、結果がどの判断につながるかを明確にします。

2.何を、どの単位でランダムに割り付けるのか

顧客、店舗、地域のどれを割り付けるのか。施策が周囲へ漏れるなら、より大きな単位で分けます。

3.費用を含む主要指標は何か

販売個数だけでなく、値引き後の粗利、販促費、既存需要への影響を含め、経営判断に対応する指標を一つ定めます。

4.期間、成功、撤退、除外の基準を事前に決めたか

終了時点と判断基準を承認時に合意し、安全上の中止条件は別に明記します。

5.割り付けと実施状況を分けて記録できるか

どの群へ割り付けたかを残したうえで、実施漏れ、条件変更、他群への波及を記録します。予定と実績のずれは隠す対象ではなく、運用改善の情報です。

6.結果が「プラス」「マイナス」「判断不能」のとき、それぞれどうするか

プラスなら展開、マイナスなら中止、判断不能なら追加検証と、三つの出口を用意します。

A/Bテストで「明確な効果は確認できなかった」という結果が出ても、担当者の失敗とは限りません。3,000万円を投じる根拠が不足していると分かったこと自体が、資源配分に必要な成果です。

経営側が成功事例だけを評価すれば、現場は実験結果を成功物語へ加工します。仮説が外れたことを早く発見し、損失を小さく止めた検証も評価する必要があります。

実験は経営判断の代わりではない。経営が引き受けるリスクを、判断前に見えるようにする。

ランダム割り付けは、経営の責任を軽くしない

ランダム割り付けは、施策の対象選定を偶然に委ねます。しかし、経営判断まで偶然に委ねるものではありません。

むしろ、経営が決めるべき範囲を明確にします。

何を検証し、どの損失まで許容し、何をもって成功とし、どの証拠なら3,000万円を投じるのか。そこを曖昧にしたまま実験を始めれば、結果が出た後に都合のよい解釈を選ぶことになります。

私自身、業務のなかで対象を選ぶとき、経験を使うことは大切だと考えています。限られた人員や在庫を、成果が期待できる場所へ配分するのは、事業運営に必要な判断です。

一方、その施策が本当に効いたかを知りたい場面では、経験による選択をいったん止める必要があります。運営を最適化する選択と、効果を検証する割り付けは、目的が異なるからです。

判断力を手放すのではありません。判断力を使う場所を、施策対象の選定から、実験条件と結果の解釈へ移します。

偶然に委ねる範囲を経営が決めることも、経営判断の一部である。

まとめ:「施策をしなかった双子」は、偶然によってつくられる

今回のポイントを整理すると、次のようになります。

  • 人による選択を切り離す:ランダム割り付けは、売れそうな店舗だけを選ぶことで生じる偏りを抑える
  • 抽出と割り付けを分ける:抽出は結果を適用できる範囲、割り付けは効果があったかどうかの推定に関わる
  • 集団として双子をつくる:一店舗ずつ同じにするのではなく、施策あり・なしの集団を平均的に比較可能にする
  • 判断基準を先に決める:主要指標、期間、成功、撤退、除外の条件を実験前に合意する
  • 実施のずれを隠さない:当初の割り付けを基準に比較し、実施状況は別に記録する
  • 未知の損失を限定する:A/Bテストは効果を探すだけでなく、誤った全社展開を防ぐ保険にもなる

同じ店舗で、施策ありとなしを同時には観察できません。それでも、対象選定を人の期待や評価から切り離せば、「施策をしなかった自分たち」に近い集団を人工的につくれます。

では、費用、制度、倫理、顧客への影響などから、ランダム割り付けができない場合はどうすればよいのでしょうか。

法改正の境界、地域ごとの導入時期のずれ、適用基準の閾値など、現実の中に生まれた偶然や境界を使う方法があります。

次回は、自然実験と、差の差法(DiD)・回帰不連続デザイン(RDD)などの準実験デザインを取り上げ、世の中に残された「施策をしなかった双子」をどう見つけるのかを考えます。

自分たちで双子をつくれないなら、現実の中に残された双子を探す。

今回はここまでとします。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

[1]Rubin, D. B.(1974)“Estimating Causal Effects of Treatments in Randomized and Nonrandomized Studies.” Journal of Educational Psychology, 66(5), 688–701. DOI

[2]Morgan, K. L. & Rubin, D. B.(2012)“Rerandomization to Improve Covariate Balance in Experiments.” The Annals of Statistics, 40(2), 1263–1282. DOI

[3]Hemming, K., Haines, T. P., Chilton, P. J., Girling, A. J. & Lilford, R. J.(2015)“The Stepped Wedge Cluster Randomised Trial: Rationale, Design, Analysis, and Reporting.” BMJ, 350, h391. DOI

[4]Hernán, M. A. & Hernández-Díaz, S.(2012)“Beyond the Intention-to-Treat in Comparative Effectiveness Research.” Clinical Trials, 9(1), 48–55. DOI

[5]Shao, G., Hightower, J. & Schindel, W.(2022)“Credibility Consideration for Digital Twins in Manufacturing.” Manufacturing Letters, 35, 24–28. NIST

〖その数字は、原因を語っているか③〗その比較対象は、本当に比べられるか――選択バイアスと交絡の罠

前回は、人や組織が反実仮想に気づきながら、再び分かりやすい成功物語へ戻ってしまう理由を考えました。

製品Xの在庫は、キャンペーン期間中に1万個から6千個へ減少しました。その実績をもとに、ほかの商品へ3,000万円を追加投資する案が出ています。しかし、キャンペーンをしなかった場合に何個売れていたのかは、直接見ることができません。

そこで担当者は、比較対象を加えた資料を次の経営会議へ提出します。

「キャンペーン実施店舗の1店舗当たり販売数は、非実施店舗より20%多くなりました。したがって、キャンペーンには効果があったと考えます」

施策を実施しなかった店舗との比較です。会議室には、これなら3,000万円の横展開を承認できるという空気が広がります。

ところが、ある役員が尋ねました。

「そもそも、なぜこの店舗をキャンペーン対象に選んだのですか」

担当者は答えます。

「固定客が多く、販売力の高い店長がいて、成果が期待できる店舗を選びました」

限られた予算を成果が期待できる店舗から投じるのは合理的です。しかし、その店舗はキャンペーンがなくても製品Xが売れやすかった可能性があります。観察された20%の差には、もともとの店舗力も含まれているかもしれません。

今回は、選ばれた比較対象が数字にどのような歪みを生むのかを見ていきます。

比較対象を置けば因果が見えるのではない。比較対象の選び方によって、見たい因果をつくることもできる。

比較対象があっても、比較可能とは限らない

反実仮想は直接観察できないため、実務では非実施店舗、前年同月、キャンペーン前の販売数などを「何もしなかった未来」の代役にします。ただし、別の数字を置くだけで反実仮想を推定できるわけではありません。

製品Xのキャンペーン店舗が、非実施店舗より20%多く販売したとします。この20%の差には、少なくとも次の三つが含まれている可能性があります。

  • キャンペーンそのものの効果
  • 店舗や顧客がもともと持っていた違い
  • 季節需要や競合欠品など、同じ時期に起きた変化

知りたいのはキャンペーン効果ですが、観察できる販売数には三つが一緒に現れます。比較可能な対象とは、外見が似た対象ではなく、施策がなくてもおおむね同じように推移したと考えられる対象です。

すべての条件をそろえることはできません。重要なのは、結果に影響しそうな違いと、それが推定を歪める方向を把握することです。

施策後に差が生まれたという事実だけでは、その差を生んだ原因までは確定しません。

施策後に生まれた差のすべてが、施策によって生まれた差ではない。

「前月」「前年」「他店舗」「計画」は、何を比べているのか

会議では、比較が使われます。

いずれも経営管理には必要な数字です。しかし、それぞれの比較が答えている問いは同じではありません。

前月との比較

キャンペーン前月と実施月を比べる方法は分かりやすい一方、季節需要、連休、競合商品の欠品など、時間とともに変わった要因も販売数へ影響します。

前月比から分かるのは「前月より売れたか」であって、「キャンペーンによって売れたか」ではありません。

前年同月との比較

前年同月なら季節性をある程度そろえられます。しかし、1年の間には価格、取引先、販売チャネル、競合環境も変化します。前年の数字は、今年の「キャンペーンをしなかった場合」そのものではありません。

他店舗との比較

同じ期間の他店舗なら外部環境を共有しやすい一方、立地、顧客構成、売場面積、販売員の力量が異なります。成果が期待できる店舗を選んでいれば、その違いを施策効果と取り違えやすくなります。

販売計画との比較

販売計画は予算管理に欠かせませんが、実際に観察された「施策なしの結果」ではありません。計画達成と施策効果は分けて考える必要があります。

整理すると、次のようになります。

  • 前月比は「前より増えたか」
  • 前年比は「昨年より増えたか」
  • 他店舗比は「別の店舗より多かったか」
  • 計画比は「目標を達成したか」
  • 因果推論は「施策によって増えたか」

前年比や計画比も必要ですが、答えられる範囲を超えて原因まで説明させないことが重要です。

比較の名前ではなく、施策がなければ同じ動きをしたと考えられるかを問う。

施策の対象を選んだ時点で、差が生まれている

製品Xの担当者は、成果を得やすい店舗をキャンペーン対象に選びました。

  • 固定客が多い
  • 販売力の高い店長がいる
  • 来店客数が多い
  • 過去の販促施策への反応がよい

これらは、限られた予算を有効に使うための合理的な選定条件です。同時に、キャンペーンがなくても販売数を増やす条件でもあります。

このように、比較する集団が選ばれた時点で性質が異なっていると、観察された差を施策だけに帰属できません。実務では、こうした対象選定による偏りを広い意味で「選択バイアス」と呼ぶことがあります。

厳密な因果推論では、対象の選ばれ方から生じる選択バイアスと、後ほど説明する交絡を区別します。ただ、経営会議で最初に確認すべき点は共通しています。

「なぜ、こちらの店舗や顧客だけが施策対象になったのか」

選ばれた理由が結果にも影響するなら、二つの集団は最初から同じスタートラインに立っていません。

不調店舗を選んだときにも、別の罠がある

では、売れそうな店舗ではなく、不調店舗をキャンペーン対象にした場合はどうでしょうか。

例えば、過去3か月で販売数が最も落ち込んだ店舗を選び、販促を実施したとします。翌月に販売数が回復すれば、施策が効いたように見えます。

しかし、毎月の販売数には、店舗の実力だけでなく、一時的な大口顧客の発注延期、天候、近隣工事などの偶然も含まれます。極端に悪かった時点を基準に店舗を選ぶと、次の測定値は、何もしなくても平常に近づくことがあります。

これは「平均への回帰」と呼ばれる現象です。

平均への回帰は、選択バイアスの言い換えではありません。ただし、極端に悪い結果を理由に対象を選び、その後の回復を施策効果として評価するときに、両者は一緒に現れやすくなります。

好調店舗を選べば、もともとの販売力を施策効果に含める可能性があります。不調店舗を選べば、自然な回復を施策効果に含める可能性があります。

どちらの場合も、対象を選んだ理由を確認しないまま、実施店舗と非実施店舗を比べることが問題です。

対象を選んだ理由があるなら、その理由が結果にも影響していないかを疑う。

第三の変数が、施策と結果を同時に動かす

製品Xのキャンペーン店舗には、販売力の高い店長がいました。

「店舗の販売力」は、二つの方向へ影響しています。

一つは、キャンペーン対象への選ばれやすさです。販売力の高い店舗ほど、キャンペーンで成果を出せると期待されます。

もう一つは、製品Xの販売数です。販売力の高い店舗は、キャンペーンをしなくても多く販売する可能性があります。

このように、第三の変数が施策の実施と結果の双方に影響し、両者の関係を混ぜてしまうことを「交絡」と呼びます。

交絡要因の候補は、店舗の販売力だけではありません。

  • 既存顧客と新規顧客の比率
  • 店舗の立地や規模
  • 季節需要
  • 競合商品の欠品
  • 大口注文の有無
  • 同時期に実施した営業強化や広告

大切なのは、思いつく限りの変数を分析へ投入することではありません。誰が、どの基準で対象を選んだのか。その条件は販売数にも影響しないか。施策と結果が生まれる順序をたどることで、疑うべき第三の変数が見えてきます。

一方、キャンペーンによって増えた来店数や商品ページの閲覧数は、施策の効果が結果へ届く途中の経路かもしれません。来店数や閲覧数は、キャンペーンとは別の「原因」ではなく、キャンペーンが売上を生み出すための「通り道」になっている可能性があるからです。こうした施策後の変数まで機械的に取り除けば、本来測りたい効果の一部を消してしまう可能性があります。

分析項目の多さより、施策前に何が決まり、どの順序で結果が生まれたかを理解する必要があります。

数字に差があることと、施策が差を生んだことは同じではない。第三の変数が、その両方に影響している可能性がある。

全体では成功、分けて見ると失敗する

第三の変数による集団構成の違いが、極端な形で現れることがあります。

製品Xのキャンペーンでは、既存顧客を中心に対象を選んだとします。既存顧客は、もともと製品Xを購入する可能性が高い顧客です。一方、非キャンペーン群には新規顧客が多く含まれていました。

結果は、次のようになりました。

全体ではキャンペーンありが50%、なしが26%で、購入率が大きく上がったように見えます。ところが顧客層別では、既存顧客は60%対70%、新規顧客は10%対15%となり、どちらもキャンペーンありの方が低くなっています。

全体と内訳で結論が逆転した理由は、キャンペーン群の80%が購入率の高い既存顧客であり、非キャンペーン群の80%が購入率の低い新規顧客だったからです。

このように、集団をまとめたときの傾向と、第三の変数で分けたときの傾向が逆転する現象は、シンプソンのパラドックスとして知られています。

ただし、この表だけを見て「キャンペーンには悪影響があった」と断言することもできません。既存顧客や新規顧客という同じ区分のなかにも、購入履歴、年齢、地域などの違いが残っている可能性があるからです。

ここから確実に言えるのは、「全体の50%対26%だけでは、キャンペーン効果を証明できない」ということです。

実務では、まず施策を始める前から決まっていた重要な属性でデータを分け、全体の結論と矛盾しないかを確認します。今回なら、顧客層、店舗規模、地域、販売チャネル、施策前の購入実績などが候補になります。

反対に、キャンペーンを見た後の来店やページ閲覧など、施策によって変わった可能性がある属性で安易に分けることには注意が必要です。

集計値は嘘をつかない。しかし、構成比の違いを見えにくくする。全体で成功に見える施策が、内訳ではすべて逆の傾向を示すことがある。

ABC分析は、原因を説明する道具ではない

在庫管理で使われるABC分析にも、同じ注意が必要です。

例えば、Aランク商品の在庫月数が短いからといって、Aランクと同じ発注ルールをCランクへ適用すれば在庫が減るとは限りません。需要量が、ABCランクと在庫月数の双方に影響している可能性があるからです。

ABC分析は、売上への寄与や在庫の偏りを把握するには有用ですが、なぜ売れるのか、発注や販促を変えればどうなるかまでは答えません。

ABC分析は、現在地を把握する健康診断です。因果推論は、原因を探る診断に当たります。そして経営判断は、診断を踏まえて対策を選ぶ処方です。

分類は、どこに問題があるかを示す。なぜそうなったかまでは示さない。

比較対象を承認する前に、経営層が確認すること

では、比較結果を受け取った経営層は、何を確認すればよいのでしょうか。

複雑な統計分析を求める前に、次の五つを確認します。

1.比較対象は、結果を見る前に決められていたか

結果を見てから施策がよく見える前月や店舗を選ばないよう、施策前に比較対象を決め、変更理由を記録します。

2.なぜ一方だけが施策対象に選ばれたのか

成果が期待できる店舗、不調な店舗、協力的な顧客など、選定には理由があります。その理由が結果にも影響するなら、単純比較には偏りが入ります。

3.施策前の水準や傾向は似ていたか

施策直前の販売数だけでなく、数か月の推移、顧客構成、店舗規模などを確認します。施策前から一方だけが伸び続けていたなら、施策後の差にもその傾向が残ります。

4.施策と結果の双方に影響する要因はないか

季節需要、競合欠品、大口注文、営業体制など、施策と同じ時期に動いた要因を確認します。完全に取り除けなくても、未確認事項として明示することに意味があります。

5.施策前から決まっていた重要な属性で分けても、結論は変わらないか

顧客層、地域、店舗規模、販売チャネルなどで一度分解し、全体と内訳の方向が一致しているかを検算します。結論が逆転するなら、その構成比を確認します。

この五つの問いは、現場を詰問するためのものではありません。

最初から完全な比較対象が見つかるとは限りません。「顧客構成が一致していない」「競合欠品の影響はまだ切り分けられていない」と率直に報告できれば、経営層は証拠の強さに応じて投資額を決められます。

製品Xの報告も、次のように書き換えられます。

「キャンペーン店舗の1店舗当たり販売数は、非実施店舗より20%多くなりました。ただし、対象店舗は固定客比率と施策前の販売力が高く、単純比較では店舗特性の影響を切り分けられません。顧客層別でも結論が変わるため、現時点ではキャンペーン単独の効果は確定できません。3,000万円の横展開前に、追加検証が必要です」

この報告は、分かったことと未確認事項を分け、次の投資判断に必要な情報を示しています。

少額で、失敗してもすぐに戻せる施策なら、不完全な比較をもとに試行を続ける判断もあります。しかし、3,000万円を投じて全社展開するなら、施策ありと施策なしの条件を、より丁寧にそろえる必要があります。

その一つが、店舗や顧客を施策あり・施策なしへランダムに割り付けるA/Bテストです。

ここで必要なのは、対象を無作為に集める「ランダム抽出」ではありません。施策を実施するかどうかを偶然に委ねる「ランダム割り付け」です。詳しい考え方は、次回取り上げます。

比較の弱点を明らかにすることは、分析の失敗ではない。誤った横展開を止めるための経営情報である。

比較を疑うことは、数字を否定することではない

キャンペーン店舗が非実施店舗より20%多く販売したことは、観察された事実です。その数字に意味がないわけではありません。

問題は、その差のすべてをキャンペーン効果とみなし、3,000万円の追加投資へ直結させることです。

比較に選択の偏りや交絡があると分かれば、結論を仮説として扱い、投資額や対象地域を絞り、より比較可能な条件で追加検証できます。

私自身、在庫月数やABCランクなどの数字を扱うなかで、比較対象が一つ置かれると、それだけで説明が完成したように感じることがあります。前月より減った、計画を達成した、別部門よりよかった。比較は、判断に安心感を与えてくれます。

しかし、その安心感が、比較対象の性質を確かめる作業を終わらせることもあります。

経営層が尋ねるべきなのは、「比較対象はありますか」だけではありません。

「なぜ、その比較対象なら、施策をしなかった未来の代役になるのですか」と問えているか。

まとめ:比較対象の数ではなく、比較可能性を見る

今回のポイントを整理すると、次のようになります。

  • 比較対象と反実仮想の区別:別の数字を置いても、施策なしの未来の代役になるとは限らない
  • 対象選定の影響:施策対象を選んだ理由が、そのまま結果の差を生むことがある
  • 平均への回帰:極端な不調を理由に対象を選ぶと、自然な回復を施策効果と誤認しやすい
  • 交絡と構成比の確認:第三の変数や集団構成によって、全体と内訳の結論が逆転することがある
  • 経営側の確認責任:意思決定が大きいほど、比較の限界を明示し、追加検証を行う

比較対象は、反実仮想そのものではありません。私たちが直接見ることのできない「何もしなかった未来」を推定するための代役です。

だからこそ、比較対象があるかどうかではなく、その対象が代役を務められる条件を備えているかを確かめる必要があります。

では、比較可能な対象が自然には見つからない場合、どうすればよいのでしょうか。

自分たちで、施策をしなかった集団をつくる方法があります。ただし、必要なのはランダムな抽出ではありません。施策を実施するかどうかをランダムに割り付けることです。

次回は、ランダム割り付けによるA/Bテストを使い、「施策をしなかった自分たちの双子」をどうつくるのかを考えます。

今回はここまでとします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

[1]Simpson, E. H.(1951)“The Interpretation of Interaction in Contingency Tables.” Journal of the Royal Statistical Society: Series B, 13(2), 238–241. DOI

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[3]Barnett, A. G., van der Pols, J. C. & Dobson, A. J.(2005)“Regression to the Mean: What It Is and How to Deal with It.” International Journal of Epidemiology, 34(1), 215–220. DOI

[4]Pearl, J.(2014)“Comment: Understanding Simpson’s Paradox.” The American Statistician, 68(1), 8–13. DOI

〖その数字は、原因を語っているか②〗「施策が効いた」を生む心理と組織力学

前回は、ある販促キャンペーンを取り上げました。

製品Xの在庫は、キャンペーン期間中に1万個から6千個へ減少しました。担当者は「キャンペーンによって在庫を4,000個削減した」と報告し、その実績をもとに、ほかの商品へ3,000万円を追加投資する案が経営会議に上がりました。

そこで、ある役員が尋ねます。

「何もしなかった場合、何個売れていたのか」

会議室は静まり返りました。

キャンペーン期間中に4,000個売れたことは確認できます。しかし、キャンペーンを実施しなかった場合に何個売れていたのかは、直接見ることができません。前回は、この「起きなかったもう一つの未来」を反実仮想と呼び、施策の効果を考えるには、観察された結果と反実仮想を分ける必要があると説明しました。

ところが、会議はそこで終わりません。

しばらくして、誰かが口を開きます。

「ただ、4,000個売れたこと自体は事実ですよね」

何人かがうなずき、張り詰めていた会議室の空気が少し緩みます。

「少なくとも、一定の効果はあったと考えてよいのではないか」

「では、横展開の方向で詳細を詰めましょう」

気づけば、「何もしなかった場合」という問いは脇へ置かれ、会議は元の成功物語へ戻っていました。議事録に残るのは、「キャンペーン効果を確認。横展開を検討」という結論だけです。

これは、因果推論を知らないから起きるのでしょうか。

反実仮想の必要性を説明されれば、多くの人は理屈として理解できます。それでも実際の会議では、見えない未来より、目の前にある結果へ引き寄せられます。そして、分かりやすい説明が一つ示されると、そこへ安堵するように戻っていきます。

今回は、なぜ人や組織が、一度は反実仮想に気づきながら、再び単純な成功物語へ戻ってしまうのかを考えます。

見える結果と、見えない未来は対等ではない

経営会議で使われる資料には、数字が並んでいます。

  • 在庫が1万個から6千個へ減った
  • キャンペーン期間中に4,000個売れた
  • 売上が前年同月を上回った
  • 販売計画を達成した

これらは、実際に観察された数字です。基幹システムや販売データから取り出すことができ、グラフにもできます。誰が見ても、そこに存在しています。

一方、「キャンペーンをしなかった場合には3,000個売れていた」という反実仮想は、どのデータベースにもそのまま保存されていません。比較対象や過去の傾向から推定する必要があり、そこには仮定と不確実性が残ります。

両者は、最初から対等ではありません。

第一に、可視性の非対称性があります。実績は見えますが、反実仮想は直接見えません。

第二に、説明負担の非対称性があります。「キャンペーンで4,000個売れた」は一文で済みます。しかし、「季節需要、競合欠品、大口注文の影響を考慮すると、キャンペーンがなくても約3,000個は売れた可能性がある」と説明すれば、前提や根拠を問われます。

第三に、評価の非対称性があります。「施策が成功した」と断言する人は、成果を生み出した人に見えます。「施策単独の効果はまだ分かりません」と報告する人は、分析が足りない人、判断できない人に見えることがあります。

もちろん、企業が複雑な出来事を短い物語に整理すること自体は悪くありません。経営には、限られた時間のなかで情報を圧縮し、資源配分を決める役割があります。考えられる原因を際限なく挙げ続けていれば、何も決められません。

問題は、分かりやすい物語が、検証されないまま評価や追加投資へ接続されることです。

見えている結果は、それだけで説明力を持っているように見える。見えない未来は、誰かが意識して会議へ持ち込まなければ存在しない。

成功したとき、検証は止まりやすい

では、なぜ私たちは、見えている結果から一つの原因を選びたくなるのでしょうか。

ここでは、三つの心理的な働きを見ていきます。

結果バイアス――良い結果が、良い判断に見える

結果バイアスとは、意思決定が行われた時点の情報や判断過程ではなく、後から判明した結果によって、その判断の良し悪しを評価してしまう傾向です。

同じ情報をもとに同じ判断をしたとしても、結果が良ければ「優れた判断だった」と評価し、結果が悪ければ「無謀な判断だった」と評価しやすくなります。

製品Xの在庫が4,000個減ったため、キャンペーンを実施した判断だけでなく、値引き幅、対象商品の選定、実施時期まで適切だったように感じられます。

しかし、良い結果が出たことと、当時の判断過程が適切だったことは同じではありません。逆に、判断過程が妥当でも、偶然や外部環境によって悪い結果になることもあります。

後知恵バイアス――結果を知ると、最初から分かっていたように感じる

結果を知った後では、その結果が事前に予測可能だったように見えます。

キャンペーンが終わった後になって、「この時期は需要が伸びると思っていた」「値下げすれば売れるのは当然だった」と語られることがあります。しかし、施策を承認した時点では、同じ強さの確信を持っていたとは限りません。

結果を知った私たちは、当時の迷いや不確実性を小さく見積もります。そのため、成功が偶然や複数要因の重なりによって生じた可能性を検討しにくくなります。

自己奉仕バイアスと動機づけられた推論

成功は自分たちの能力や施策に帰属させ、失敗は市場環境や競合などの外部要因に帰属させやすい傾向は、自己奉仕バイアスと呼ばれます。

また、人は常に中立的な立場から証拠を評価するわけではありません。先に望ましい結論があり、それを支える記憶、情報、推論を見つける方向へ思考が動くことがあります。これが、動機づけられた推論です。

キャンペーンの推進者にとって、「何もしなくても3,000個売れていた」という反実仮想は、成果を4,000個から1,000個へ縮小させます。場合によっては、値引きによって粗利を失い、施策をしない方が良かった可能性まで生じます。

反実仮想を検討することが、自分の評価、予算、過去の判断を揺らすのであれば、見ない理由が生まれます。

反実仮想は、成功と失敗で同じようには働かない

ここで注意したいのは、人が反実仮想をまったく考えないわけではないことです。

成功したときには、

「何もしなくても、同じように売れていたのではないか」

という反実仮想は持ち出されにくくなります。せっかく得られた成果や評価を、自ら小さく見せることになるからです。

一方、結果が悪かったときには、

「競合が値下げしていなければ売れていた」

「為替が急変しなければ採算は合っていた」

「大口顧客の発注延期がなければ計画を達成していた」

といった反実仮想が、次々と提示されることがあります。

実際よりも良い結果を想像するものは「上方反実仮想」と呼ばれます。失敗の原因を検討し、次の行動を改善するうえで、本来は重要な思考です。

ただし、自分たちが変えられた要因ではなく、外部要因だけを選んで語れば、学習の道具ではなく、自己正当化の道具になります。

問題は、反実仮想を考えるかどうかだけではありません。どの反実仮想を選び、何のために使っているかです。

人は反実仮想を避けるのではない。自分の成功物語を揺らす反実仮想を避けるのである。

成功物語は、現場と経営が共同でつくる

ここまでの説明では、キャンペーンの担当者だけに問題があるように見えるかもしれません。

しかし、成功物語を必要としているのは現場だけではありません。

施策の推進者には、成果として認めてもらいたい、次年度の予算を確保したい、プロジェクトを継続したいという動機があります。曖昧な報告をすれば、「結局、何が言いたいのか」と問われるかもしれません。

一方、経営陣にも、分かりやすい説明を求める理由があります。

  • 自分が承認した判断の妥当性を確認したい
  • 投資の成果を社内外へ説明したい
  • 誰を評価すべきか明確にしたい
  • 限られた会議時間で次の意思決定を行いたい

そこで、現場は「キャンペーンによって4,000個売れた」という短い成功物語を提出します。経営陣は、その説明をもとに担当者を評価し、追加予算を承認します。評価と予算を得た担当者は、次回も同じ形式で報告します。

こうして、成功物語をつくる側と、それを求める側の循環が生まれます。

これは、現場が意図的に数字を捏造しているという話ではありません。

むしろ、現場は経営側から求められる報告形式に適応しています。「施策単独の効果はまだ分かりません」と言う人より、「私たちの施策で売上を伸ばしました」と言う人が評価されるのであれば、確実そうな物語を提出することは、組織のなかで合理的な行動になります。

説明責任を課せば、必ず慎重な判断が増えるとも限りません。誰に対して、どのような結論を説明することが求められているかによって、説明責任は検討を深めることも、期待される結論への同調を強めることもあります。

「成功を証明せよ」と求めることと、「判断過程と不確実性を説明せよ」と求めることでは、現場から上がってくる情報が変わります。

成功物語は、報告する側だけがつくるものではない。分かりやすい説明を求める側との間で共同生成される。

反実仮想には、組織的なコストがかかる

反実仮想を考えない理由を、個人の怠慢だけで説明することもできません。

反実仮想を会議へ持ち込むことには、少なくとも三つのコストがあります。

認知的なコスト

単純な因果物語なら、「キャンペーンをした」「売れた」「だから効いた」という一直線で説明できます。

反実仮想を考える場合は、季節需要、競合欠品、大口注文、顧客構成、対象地域の選び方など、複数の可能性を同時に扱わなければなりません。資料を追加し、前提を確認し、分からない範囲を残す必要があります。

政治的なコスト

成功とされた施策を再検討すると、担当者だけでなく、その施策を承認した上司や経営陣の判断まで問い直されます。

追加投資を主導した役員にとっても、「施策の効果は確認できていない」という結論は歓迎しにくいものです。反実仮想を考えることが、過去の意思決定や部門間の力関係を揺らすからです。

意思決定上のコスト

比較対象の収集や追加検証には、時間と費用がかかります。競合が動いているときに、分析結果が出るまで何か月も待てるとは限りません。経営層もまた、取締役会や株主、金融機関に対する説明責任を負い、限られた時間のなかで判断を求められています。

したがって、反実仮想を考えないことは、単なる思考停止ではありません。短時間で結論を出し、組織内の摩擦を避けるという点では、一見すると合理的です。

だからといって、すべての施策に厳密な実験を求める必要もありません。

少額で、失敗してもすぐに戻せる施策であれば、簡易な検証で進める判断もあります。一方、全社展開、多額の設備投資、価格体系の変更など、失敗時の損失が大きく、元に戻しにくい判断ほど、反実仮想を丁寧に検討する必要があります。

検証の強度は、学術的な厳密さへのこだわりではなく、意思決定の大きさに応じて決めるものです。

問題は、反実仮想を考えない人がいることではない。考えない方が評価される仕組みが残っていることである。

心理的な都合は、比較対象の選び方に現れる

反実仮想を直接観察できない以上、実務では何らかの比較対象を使います。

製品Xのキャンペーンであれば、次のような比較が考えられます。

  • キャンペーン前月との比較
  • 前年同月との比較
  • キャンペーンをしなかった他店舗との比較
  • 販売計画との比較
  • 対象外だった顧客や地域との比較

どれも、一見すると合理的です。しかし、比較対象の選び方によって、同じ施策が成功にも失敗にも見えます。

施策の効果を強く見せたい人は、売上の低かった前月、不調だった前年、客足の鈍い別店舗を選びやすくなります。施策に懐疑的な人は、好調だった地域や高い計画値を選ぶかもしれません。

ここで起きているのは、必ずしも意図的なデータの捏造ではありません。

担当者は一生懸命に比較対象を探しています。しかし、複数の候補があるなかで、無意識のうちに自分たちの施策を肯定しやすい対象を選び取ってしまいます。

データそのものを改ざんしていなくても、結果を見た後で、自分に都合のよい比較対象を選ぶことはできます。これが、無意識のチェリーピッキングです。

しかも、製品Xの在庫減少には、キャンペーン以外にも次の要因が重なっていたかもしれません。

  • 季節需要が高まった
  • 競合商品が欠品した
  • 大口注文が偶然入った
  • 営業担当者や販売チャネルが変わった
  • もともと売れやすい地域だけをキャンペーン対象にした

比較する集団の性質が最初から違えば、施策の効果と集団の違いを切り分けられません。施策と同じ時期に別の要因が動けば、その影響も混ざります。

前者は選択バイアス、後者は交絡と呼ばれる問題につながります。また、全体で見た傾向と、部門や顧客層に分けて見た傾向が逆転することもあります。これはシンプソンのパラドックスとして知られています。

これらは統計上の問題ですが、その入口は、分析ソフトを操作するより前にあります。

選択バイアスや交絡は、統計上のミスである前に、組織が見たい物語に合う比較対象を選んだ結果かもしれない。

経営層が変えるべきは、個人より制度である

では、経営層は何を変えればよいのでしょうか。

「バイアスに気をつけよう」と呼びかけるだけでは不十分です。人間の心理を完全に変えることはできません。むしろ、反実仮想を考え、不確実性を報告する方が合理的になる制度をつくる必要があります。

1.成果を聞く前に、ほかの説明を聞く

「この施策で何が改善したのか」と聞く前に、次のように尋ねます。

「施策以外に、同じ結果を生んだ可能性はありますか」

代替説明を少なくとも一つ挙げることを、会議や報告書の定型にします。正解を求める質問ではありません。成功物語が一つに固まる前に、別の可能性を会議へ残すための質問です。

2.結果と意思決定プロセスを分けて評価する

良い結果が出た人だけを評価すれば、結果バイアスが強まります。

施策前にどのような仮説を置いたか、リスクを把握していたか、途中で新しい情報に対応したかも評価します。結果が悪くても判断過程が妥当だった施策と、結果は良かったものの偶然に助けられた施策を分けます。

3.成功条件・比較対象・撤退基準を施策前に合意する

施策を開始する前に、少なくとも次の事項を関係者間で共有します。

  • 何と比較して効果を判断するのか
  • どの程度の増分効果を成功とみなすのか
  • どこまでのコストを許容するのか
  • どの数字を下回ったら修正、縮小、撤退するのか
  • いつ、誰が検証するのか

これは、結果を知る前の自分たちの判断に、将来の自分たちを従わせる「事前コミットメント」です。

結果が出てから成功基準や比較対象を選べば、どのような結果でも後付けで正当化できます。施策前に判断基準を合意しておくことで、成功物語の後付けを防ぎます。

例えば製品Xであれば、「キャンペーンを実施しない場合の販売数を暫定的に約3,000個と置き、増分効果が1,000個以上、かつ増分粗利で販促費を含む追加負担を回収できる場合にのみ横展開する」と、キャンペーン開始前の稟議・承認段階で合意しておきます。

もちろん、途中で市場環境が大きく変われば、基準を修正して構いません。ただし、その場合は、何を、なぜ、いつ変更したのかを記録します。

4.結論を更新した人を評価する

過去の説明を守り続けることより、新しい証拠を受けて判断を変えることを評価します。

「当初はキャンペーン効果を2,000個と見積もっていたが、競合欠品の影響が判明したため1,000個へ修正した」という報告は、失点ではありません。経営判断に必要な情報の精度を上げた行動です。

5.意思決定の大きさに応じて、検証を強くする

すべての施策に同じ分析コストをかける必要はありません。

小規模でやり直しやすい施策なら、過去データや類似条件との比較から始められます。一方、3,000万円を投じて全社展開するのであれば、比較可能な対象を慎重に選び、可能であれば一部の店舗、顧客、地域を対象に、ランダム割り付けによるA/Bテストを先に実施する方法があります。

ランダム割り付けは、施策を実施したグループと実施しなかったグループの条件を、平均的にそろえるための方法です。詳しい考え方は、この連載の後半で扱います。

ここで重要なのは、現場に完璧な証明を求めることではありません。「まだ分からない」と言うだけで終わらず、何が分かり、何を仮定し、次にどう確かめるのかを共有できる状態をつくることです。

不確実性をなくすことが経営の仕事ではない。不確実性を隠さなくてもよい仕組みをつくることが、経営の仕事である。

原因を疑うことは、判断を遅らせることではない

冒頭の経営会議に戻りましょう。

「ただ、4,000個売れたこと自体は事実ですよね」という発言は、間違っていません。4,000個売れたことは、確認された事実です。

問題は、その事実を確認した瞬間に、「だからキャンペーンが効いた」という説明まで確定させてしまうことです。

会議で必要なのは、成功か失敗かをその場で断言することではありません。

  • 4,000個売れたことは事実である
  • キャンペーンがなくても売れた数量はまだ推定である
  • 季節需要や競合欠品が影響した可能性がある
  • 現時点では増分効果を約1,000個と仮定している
  • 3,000万円を投じる前に、追加検証が必要である

ここまで分けて考えられれば、経営は前へ進めます。

因果推論は、判断を止めるための学問ではありません。事実と推定を分け、不確実性がどこに残っているのかを確認し、次に投じる資源の大きさを決めるための補助線です。

私自身、生産、在庫、納期といった数字を扱うなかで、結果が改善すると安堵し、その理由を一つに決めたくなる場面があります。原因が分かった方が、報告もしやすく、次の対策も立てやすいからです。

しかし、その分かりやすさは、ときに検証を終わらせます。

人の心理だけを責めても、状況は変わりません。断言する人が評価され、慎重な報告をする人が予算を失うのであれば、誰も反実仮想を会議へ持ち込まなくなります。

まとめ:反実仮想を会議に残せるか

今回のポイントを整理すると、次のようになります。

  • 見える結果の強さ:観察された実績は、直接見えない反実仮想より説得力を持ちやすい

  • 反実仮想の非対称性:成功時には成果を小さくする反実仮想を避け、失敗時には自分を免責する反実仮想を持ち出しやすい

  • 成功物語の共同生成:現場と経営の双方が、短く確実な因果説明を必要としている

  • 無意識のチェリーピッキング:心理と組織の利害は、都合のよい比較対象を選ぶ行動として表れる

  • 経営側の設計責任:比較対象、成功条件、撤退基準を事前に合意し、不確実性を開示した人が不利にならない制度をつくる

反実仮想を考える能力は、個人の知識だけでは決まりません。

組織がどのような報告を求め、どのような人を評価し、どのような物語に予算をつけるかによって、会議に現れる情報は変わります。

最後に、経営層の立場から、次の問いを考えてみてください。

自社の会議で「この施策が効いたかは、まだ分かりません」と報告した人は、次の予算を得られるだろうか。

もし得られないのであれば、反実仮想を遠ざけているのは、担当者の思い込みではなく、その組織の評価制度です。

では、反実仮想を考えるために、何と比較すればよいのでしょうか。

前年同月、前月、他店舗、販売計画。実務では、さまざまな比較対象が使われます。しかし、比較対象があることと、比較可能であることは同じではありません。その対象が、本当に「何もしなかった未来」の代役になっているかを確かめる必要があります。

次回は、分かりやすい比較が因果関係を見誤らせる仕組みを、選択バイアス、交絡、シンプソンのパラドックスから考えていきます。

今回はここまでとします。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

[1]Baron, J. & Hershey, J. C.(1988)“Outcome Bias in Decision Evaluation.” Journal of Personality and Social Psychology, 54(4), 569–579. DOI

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