皆さん、こんにちは。
本ブログは行動経済学を実際のビジネスに適用していくことを主目的としています。
行動経済学の理論を中心に、行動心理学や認知心理学、社会心理学などの要素も交え、ビジネスの様々なシーンやプロセス、フレームワークに適用し、実践に役立てていきたいと思っています。
日本経済新聞で、経済協力開発機構(OECD)が公表した国際成人力調査(PIAAC)をもとにした、日本人の「数的思考力」の低下と再教育参加率の低さについての記事を見かけました。
そのPIAAC調査によれば、日本は「読解力」「数的思考力」などで若年層が高い成績を収めている一方、25歳以降の数的思考力は右肩下がりに低下する傾向が明らかになりました。また、再教育の参加率がOECD平均を下回り、北欧諸国と比べても約20ポイントの差があることも示されています。このような状況は、労働生産性の向上や社会全体の成長において大きな影響を及ぼします。
特に「数字を使った品質管理や発注」といったビジネスの実務における数的思考力は、意思決定や業務効率に直結する重要なスキルです。しかし、これが25歳を境に低下する現象がなぜ起きるのか。また、再教育の参加率が低い要因はどこにあるのかを深く理解することが、効果的な解決策を生み出す第一歩です。
以前『リスキリング」×行動経済学』においても、リスキリングの重要性について触れましたが、その中で「デジタル社会での急速な変化に対応するためには、既存スキルをアップデートするだけでなく、新しいスキルを獲得することが求められる」ことをお伝えしました。この視点は、今回のテーマとも密接に関連します。特に、数的思考力がビジネスの実務において重要な役割を果たすことや、学び直しの環境が整備されていない日本の現状は、リスキリングの推進が求められる背景と一致します。
そこで今回は、これらの課題に対する行動経済学を中心としたバイアスや理論に基づいた原因分析と対策を探求します。最後に、これらの課題を解消するための具体的なアプローチを示すとともに、「大学が教育のゴール」という社会的認識が再教育参加率に与える影響についても考察します。
現状維持バイアスと学習意欲の低下
現状維持バイアスは、現在の状態を好み、新しい選択を避ける心理的傾向です。このバイアスが、25歳以降の数的思考力低下に大きく関与していると考えられます。多くの日本人は、若年期に獲得したスキルで業務をこなすことで満足し、新しい学びに踏み出す動機を見失いがちです。
また、過信バイアスも関連しています。このバイアスは、自身のスキルや能力を過大評価し、現状に満足する心理的傾向を指します。若年期の成功体験が「今のままで十分だ」という誤った認識を生み出し、学び直しの意欲を減退させています。
さらに、日本の社会では「25歳以降は経験を積み教える側に回るべき」という役割期待があり、この文化的要因が学び直しを抑制する要因となっています。また、新しい知識を習得する際の認知的負荷を避ける傾向が、既存のスキーマ(物事を理解するための枠組み)に依存しやすい状況を作り出しています。
対策
- 職場でスキルアップを評価する制度を導入し、学び直しがキャリアの成長に直結する仕組みを整える。
- 日常業務に直結する形で新たな学びを提供するプロジェクト型教育を推進する。
- 学び直しを年齢に関係なく当たり前とする社会的認識を広めるために、学習成功事例を共有する。
社会的証明の欠如と再教育のハードル
社会的証明の欠如とは、他者の行動が確認できない場合に、自分の行動を正当化しにくくなる心理的現象です。日本では、再教育に参加する人が少ないため、学び直しが「普通の選択肢」として認識されていません。このため、「他の人がやっていないから自分もやらない」という選択が促され、参加率が低下しています。
また、先延ばしバイアスも影響しています。このバイアスは、目先の負担を避けるために、行動を将来に先送りする心理的傾向を指します。再教育は時間や費用といったコストが高く認識されるため、多くの人が「今は忙しいから後回しにしよう」と考え、結局行動に移せません。
加えて、再教育を「特定の状況にある人だけが行うもの」と捉える文化的なスクリプトも、日本における参加率の低さを説明する要因です。これらの要素が相互に影響し合い、再教育へのハードルを高めています。
対策
- 再教育の成功事例を積極的に社会に発信し、「学び直しは誰にでも必要な選択肢」という認識を広める。
- 時間や費用の負担を軽減するため、柔軟なスケジュールやオンライン教育プログラムの導入を進める。
- 政府や企業が協力して再教育を奨励するキャンペーンを展開し、社会全体の意識を変える。
認知負荷の回避と目標設定の曖昧さ
認知負荷の回避とは、複雑で負担の大きい意思決定や行動を避ける傾向を指します。再教育では、学び直しの具体的な成果や目標が不明確である場合、この負荷が大きく感じられ、参加意欲が低下します。また、意思決定のパラドックスという現象も関連しています。これは、選択肢が多すぎたり目的が曖昧な場合、逆に意思決定が困難になる現象です。
さらに、日本の労働文化では、再教育への時間投資が「労働の忠誠心を欠いた行為」として解釈されることもあります。このような社会的期待が、再教育の優先度を下げている可能性があります。
対策
- 再教育プログラムを明確化し、学習者が成果をイメージしやすい目標設定を行う。
- 短期的な成果を実感できる学習設計を導入し、参加者が成功体験を得やすい環境を作る。
- 再教育を組織の一環として取り入れ、労働文化の中で学びが評価される仕組みを作る。

まとめ
数的思考力の低下と再教育参加率の低さを克服するためには、個人、企業、社会が一体となって取り組む必要があります。以下の具体的なアプローチを考えます:
- 職場文化の改革
スキルアップ評価制度の導入: 学び直しがキャリアの成長に直結するよう、職場でスキルアップを評価する制度を整備する。例えば、学び直しを行った従業員に昇給や役職アップを提供するインセンティブを導入する。
プロジェクト型教育の推進: 実際の業務に直結するプロジェクトを通じて、新たなスキルを習得する仕組みを作る。これにより、学びの成果を即時実感できる環境を提供する。 - 社会的認識の変革
再教育成功事例の可視化: 再教育を通じてキャリアアップや収入向上を実現した具体例を、メディアやSNSを通じて広く発信することで、学び直しを「普通の選択肢」として認識させる。
「大学が教育のゴール」という認識の打破: 現在の日本社会では、大学卒業が教育の終点とされる文化的枠組みが存在しています。この認識を変えるため、成人教育を新たな社会的通過儀礼として位置づけ、再教育を受けることが「人生の次のステップ」として称賛される仕組みを構築する。 - コストと時間のハードル軽減
オンライン教育プログラムの活用: 自宅や勤務先から学べる柔軟なスケジュールを提供することで、忙しい人々でも参加可能な仕組みを作る。
奨学金や補助金の支援: 政府や企業が協力し、再教育費用を補助する制度を整えることで、学び直しへの経済的負担を軽減する。 - 短期的成果の実感
目標の明確化と達成感の提供: 再教育プログラムに短期間で達成可能な目標を設定し、学習者が自信を持てるようサポートする。たとえば、特定のスキル認定証を短期的に取得可能にする。
「大学が教育のゴール」という認識を改め、「学びは一生続くもの」という価値観を日本社会に根付かせることが必要です。そのためには、成人教育を社会的に受け入れやすい形で推進し、学び直しを個人の成功だけでなく、社会全体の成長に結びつける取り組みが求められます。この変化が実現すれば、労働生産性の向上や新たな経済活力の創出といった長期的なメリットが期待できます。
次回も、ビジネスに役立つ行動経済学の理論を紹介します。お楽しみに!